【戦争の体験談を語るわ】

原作 祐希

編集 杏橋悠介

絵 ジ・カモメス

発行 ロリータ書院

改正4版 2014年1月21日


■第一章 【カリノビクの日々】

ユーゴスラビア紛争の話なんだ。 今から20年ほど前だから、知らない人が多いかもしれない。 少し長くなる話しだから、先に結末を書いておくね。 これから話す出来事で登場する人達がどうなるか・・・ ソニアは殺された。 サニャは爆発に巻き込まれて死んだ。 メルヴィナはレイプされ連れ去られた。 カミユも死んだ。 メフメットとカマル、そしてミルコは行方不明。 ドラガンは裏切ったと思っていたけど、違った・・・ 僕は日本人で当時八歳だった。 両親が離婚して、 僕はボスニアに単身赴任している研究者の父と、 一緒に暮らす事になった・・・ 日本を離れ、父の迎えで新しい家に向かう、 トルコ経由の飛行機で、機内から見る空はとても美しかった。 ボスニアで降りた空港は、異国人々がごった返していた・・・ 初めて降り立った外国の地というものは、不気味に思えたよ。 建物は綺麗に建ち並んでいて、オレンジや赤い屋根が奇抜に映った。 外国人は背が高く怖い、日本語ではない言葉を話していた・・・ 僕が父親と住む事になったカリノビクという街は、 人口五千人程で人口密度はかなり低い、山や丘に囲まれてる盆地だ。 周りは、街を繋ぐアスファルトと、 クレーターの様にボコボコとした丘がある。 遠くの山も見渡せて綺麗な所なんだ。 映画とか見る中世冒険ファンジーの様な世界かな。 日本人の子供が、海外で暮らす場合は普通、 日本人学校等に入る事になると思うのだけれど、 この街には、日本人学校どころか日本人は、僕と父しか居ない。 だから、普通の学校へ通う事になったけれど、 皆何を言っているのか理解出来ない。 僕は一人ぼっちになったんだ。 自己紹介すら出来なかったからね。 僕がもう少し大人なら、ノリで仲良くするとか、 フレンドリーに振る舞うとか出来たかもしれないね。 だけど、当時八歳の僕には、どうしようもなかった。 言葉が解らない事は非常に苦痛だった。 遊びたい盛りの僕に寂しさを我慢するというのも、 限界が近づきつつあったんだ。 どうにか遊ぶものを探そうと思って、 一人で街を散策していたんだ。 少し迷ったりしたけれど、街を行きかう人々を見ながら、 学校の方へと歩いていくと、空き地で子供達がサッカーをしていた。 羨ましくて、「いいなぁー」と思った。 「いーれーてっ」といった言葉はかけられない。 というより、その言葉が話せないし、知らないんだ。 だから、何も声に出せず、子供達が遊んでいるのを、 空き地の端っこで眺める事しか出来なかった。 その八歳の僕は、 相当、仲間に入れて欲しそうな顔をしていたんだと思う。 サッカーをしている男子の中の一人が、 見つめている僕に気づいて「一緒に遊ぶ?」と聞いてくれた。 その子の名前はカミユ。 もちろん、僕には言葉は理解できなかった。 呆けていた僕にカミユは、身振り手振りで話してくれた。 僕は誘ってくれているんだと確信して、とても嬉しかった。 これが、この街で初めて会話した日だった。 僕は友達が出来るって事にウキウキした。 次の日学校へ行ったら、小さい街だから、 やっぱり同じ学校だったんだ。 校庭でカミユ達がサッカーしているのを見つけて、 そこに駆けていった。 カミユも見るなり駆けてきて、 「サッカーやろう!」って誘ってくれた。 昨日いたメンバーの他にも、クラスの子が居たりして、 仲良くなる切欠になった その日以降、 言葉は通じないけれど一緒に過ごす友達が増えて、 鬼ごっこしたりサッカーしたりして遊んだんだ、 学校がとても楽しかった。 特にカミユとドラガンはクラスが違うっていうのに、 休み時間になると僕のクラスまで来てくれて、 一緒にくだらない遊びしてた。 昼休みはワンバンをした、 サッカーボールを一回のバウンドだけで相手に蹴るゲーム。 何でカミユ達、 特にカミユが仲良くしてくれるのかが解らなかったけど、嬉しかった。 後でその理由がわかった時は、すごく辛かった。 学校の無い日は僕は暇な時が多い。 毎回カミユ達と遊べるわけじゃない、 そんな時は色んな所を一人探検する事にした。 ある日、カミユ達はモスクだとか教会とかで遊べないから、 いつものように一人で探検してたんだ。 高原っていうか平原が無限に広がってる感じだから、 なかなか面白かった。 少し丘を登って過ぎたあたりに、ボロっちい家があった。 廃墟かと思って、 探検のつもりで潜入して庭に入った時、 知らない同じ年位の女の子と鉢合わせて、 二人同時に「びくっ!」ってなった。 人が住んでたって解って、 逃げればいいものを慌てて、 僕は咄嗟に日本語で自己紹介してしまった。 何故か彼女は理解してくれたみたいで、 彼女も名前を教えてくれた。 彼女の名前はソニア。 豆?みたいな、お菓子もくれた。 街の中心からソニアの家まで歩くと、 二時間ぐらいなんだけど、 ソニアは同じ学校じゃなかった。 同じ学年なのに何でだろう?って思ったけど、 僕は何も知らなかったから、ふーんって位にしか思わなかった。 それから夕方まで、 ソニアと近くの丘で花摘んだりしながら遊んだ。 気付いたら辺りは暗くなってたんだ、 このまま歩いて帰っても、またニ時間かかっちゃう、 どうしよう?って思ってたら、ソニアのパパが帰宅してね、 ソニアと何か話した後に、 僕をソニアと一緒に車で街まで送ってくれた。 家の前まで送ってもらって、 「ドビジャニヤ!ハンデダゼニカジェネチェニデルデ!」って感じで、 バイバイ、また遊ぼうねって約束して別れたんだ。 送ってもらう途中、 言葉が解らないってアピールしてるのに、 ソニアのパパが笑顔で色々と話しかけてきて、 少し困った覚えがある。 ソニアはソニアで一緒に作った花の輪を 僕の頭に載せてきたりしてね。 夏休みだったかな・・・ 一緒に遊んでたメンバーと、飽きずにサッカーしてたんだ。 僕は気候に慣れていないせいか、 乾燥した夏ってのは辛いものだった、喉が凄い渇く。 日本のジメジメした夏が懐かしかった。 サッカーして休憩した後に、 僕が休みの日に、何してるのか?って話しになって、 ソニアの家に遊びに行ってる事を話したんだ。 僕ら街は人口も少ない。 子供は同じ学校に通っているわけだけれど、 ソニアは通っていないみたい、 じゃあ、僕らで遊びに行っちゃうか! という話になったんだ。 その日、父さんが夕飯を食ってる最中、 僕はソニアの話ばっかりしてた。 思い返せば、 この時には、僕はソニアの事が好きになってたんだ。 それからは、 学校ある日はカミユ達とサッカーしたりして遊んで、 休みの日は毎回ニ時間位歩いて、ソニアの家まで遊びにいってた。 学校も楽しかったけど、 週に一度ソニアのトコに遊びに行くのは、 もっと楽しかった。 楽しいと言うより、楽しみだった・・・ 大体する事と言ったら、 花を摘んだり、オママゴトしたり、人形遊びしたり、 ソニアパパの猟にくっついていったりぐらいなんだけど。 ソニアのママもソガンドルマとか作って、 お昼に食べさせてくれた。 あの味は今も忘れられないよ、 野菜嫌いだった僕に、野菜の美味しさを教えてくれた・・・ ただ、女の子の家に、 男だけで行くのも少し恥ずかしいらしい。 そういうわけで、 他に学校の女の子二人と僕を含めて六人の男子、 八人でソニアの家に向かったわけだ。 重い水筒らしきものを背負って、皆で高原を歩いていった。 日本に比べて気温は高くないんだけど、 熱くなったり、夏なのに寒くなったりしてた。 その日は、凄く暑かった。 汗だくになってヒーヒーいいながらも、 何時もより時間かけつつも到着したわけだ。 僕以外の七人は、 カミユ、ミルコ、メフメット、カマル、 ドラガン、サニャ、メルヴィナね。 ソニアの家の前で皆で、 「ソニャー!ハンデダゼニカフゥバルサマナー!」 って呼んだんだ。 少ししたらバタバタしながらソニアが出てきて、 僕達を見た瞬間に目が点になって固まってた。 僕は学校の友達連れてきたから、 皆で遊ぼうって言ったんだ。 そしたらソニアは少し怯えながら、 「こんなに大勢で遊んだことないから怖い」って言うんだよ・・・ 僕が来たのが1990年4月で、 この夏は、その7月の事なんだ。 僕はカタコトではあるけれど、言葉を覚えていた。 ・・・それで、そうなのかーとは思ったけど、 なら良いチャンスだ!というわけで、 皆でサッカーをする事にしたんだ。 実際は男子六人がサッカーをして、 ソニアたち女子は三人は、花を摘んだりしてたけどね。 帰り際にソニアが目をキラキラさせながら、 今日は楽しかった!ありがとう! と言っていたのが印象的だった。 街までソニアパパが送ってくれると言ってくれたんだけど、 八人は流石に乗れないので、 サニャとメルヴィナだけ車で送ってもらって、 男子は、歩いて帰る事にしたんだ。 この夏は、僕がこの国に滞在した期間で、 最高の夏だった。 何も心配せずに遊び、疲れたら寝て、 そして朝起きて遊ぶ、延々と繰り返していたよ。 ただ、金曜と日曜は他の子供達が、 モスクやら教会に行ってしまうから暇なんだ。 だから、その日はソニアの家で過ごしてた・・・ 僕は宗教というものをよく理解していなかったし、 何かのイベント程度に思っていた。 初めて皆で遊んでから少し経った金曜日。 この日も暇を持て余していた、 またソニアの家に遊びに行こう! と考えた僕は、水筒を担いで向かった・・・ 家に行って、いつもの様に遊んでいると、 お昼ぐらいになった。 ソニアパパとママは礼拝があるからと言って、 お昼を準備した後、 ソニアと僕を残しモスクへ出かけていった。 この日は普段と違って特別な昼食だった・・・ いつもはご飯の後にデザートなんて出ないんだけど、 この日はバクラヴァが出たんだ。 最初は、ただのデザートだと思っていたんだだけど、 ソニアがニコニコしながら、 「特別なんだよ」って教えてくれた。 このバクラヴァは、 今でこそ日本にもあるらしいけれど、 現地では特別な日に食べられるデザートなんだ。 何故、この日が特別なのかは僕には解らなかった。 「何で?」と質問したんだ。 ソニアは少しモジモジと照れながら、 「祐希が私の友達になってくれた、 いっぱいの友達を連れて来てくれた、そのお礼の日だから」 確かこんな事を言われたんだ。 当時の僕は気づかなかったんだけど、 前にも書いたとおり、 ソニアは僕達と同じ年齢にも関わらず、 学校へは行っていなかったんだ。 学校自体に通っていなかったのか、 それとも不登校だったのかはわからないけれど、 だから、ソニアには全然友達が居ないんだ。 僕はソニアにとって、初めて出来た異性の友達で、 そして久しぶりに出来た友達だったんだ。 こんな目と鼻の先、 数キロしか離れていないのに不思議な話だ。 それが、この国の現実だったんだ。 この時は、そういった事を何も知らなかった僕は、 そうなんだ・・・としか思わなかった。 そういった事もあって、 ソニアパパは、一ヶ月前に出会った日の帰りの道中、 ニコニコしながら僕に一杯話しかけてくれたし、 遊びに行くたびに歓迎してくれて、 そして帰りはわざわざ車で送ってくれていたんだ。 僕は謙虚だとか遠慮だなんて言葉すら知らなくて、 ソニアパパやママには、 図々しい事を沢山してしまったなと思う・・・ バクラヴァを食べながら、 「美味しいね」ってソニアに言うと、 ソニアは照れくさそうにしながら、 「私も作るの手伝ったんだよ」と言った。 そしてこの日、 僕は夕飯前に帰ろうと思っていたんだけど、 ソニアパパやママの勧めで夕飯を食べていくことになった。 ソニアのパパやママは、 朝と昼のご飯を食べていなかったから、 夕飯はとても豪勢だった、お肉はなかったけれどね。 ソニアも笑顔で笑っていてさ、とても幸せな食卓だった・・・ 優しい家族だった。 夕飯を食べ終わった後は、 ソニアの家族と日本や、この国の話をしたりしてた、 気づくと時間も遅くなっていたんだ。 父さんに連絡して早く帰らなければと、 慌ててソニアパパに、そろそろ帰るという事を伝えた。 すると、 「今夜は遅いから、家に泊まりなさい」と言われたんだ。 流石に一緒のベットではなかったけれど、 僕とソニアは夜遅くまでおきて、 ベットの横にある窓から、 澄んだ夜空を見上げて色々と話していた・・・ 彼女の褐色の髪はキラキラしていた。 女性はベール、ヒジャブという布を付けているんだけど、 それを外したソニアを初めて目にした・・・ 漠然としたソニアに対する自分の好意が、 ソニアに対する恋だと気づいた。 月明かりに照らされたソニアの顔はとても綺麗だった・・・ 短い8年という人生しか歩んできていなかった僕には、 この時のソニアは美しすぎた。 今、こうして二十八歳になって、 この夜のソニアを超える女性とは出会えていない。 二人で手を繋ぎながら、 「ずっと一緒にいたいね」 「ずっと一緒にいようね」 そう約束したんだ・・・ 朝になってソニアママに起こされた時、 僕とソニアは同じベットで寝てた。 多分、話している途中で寝ちゃった、 ソニアママは少し驚いていたけれど、 僕達の頭を撫でながら、 パパには内緒だねと微笑んでくれた。 その意味は理解できなかった。 気持ちとしては、家に帰りたかったのだけれど、 ソニアパパがフォーチャの街に 買い物に行こうと言うので、 一緒に付いて行く事にしたんだ。 フォーチャまでは基本的に一本道で、 高原を抜けた後は延々と山道を通り抜けていった。 途中で木を積んだ、 相当年季の入ったトラックがゆっくり走ってたのを覚えてる。 山道とはいえ、木が少なくてね、動物とかは見かけなかった。 フォーチャの街がドリナ川の対岸に見えた時、 その景色がまるで絵画だった、感動したよ。 街にはカリノヴィクと比べて沢山の人がいた。 活気があった。 日用品を買ったりしたり、ご飯を食べたりした。 昼食を済ませた後だったと思う、 結構古い雰囲気のモスクがあって、 モスクを実際に目にしていなかった僕は、 「あれは何?」って聞いたんだ。 歴史あるモスクだから、見学してみるか? ってソニアパパが言ったんだ。 僕は異教徒だろうけれど、 丁度礼拝みたいのをやっていて、 僕も混ざっていい?って聞いたら、勿論って言われて、 一緒に「アッラーフアクバルー」みたいな言葉を唱えた、 貴重な経験だった。 この場所に、また来る事になるとは想像もしていなかった・・・ ある日、 確かドラガンだったと思う、 ドラガンが敵の攻撃に備える!とか言って、 草を結んで罠を作った。 サニャが引っかかって転んだ、 そこにカミユがすっ飛んできて、 「サニャが怪我したらどうするんだー!」 ってすごい怒っていた。 それでサニャを慰めていたんだけど、 それを見た男子は 「カミユはサニャが好きでーす!みなさーん!カミユは~」 ってからかったりしてた。 カミユはそんな事ない!って怒って否定してたけど、 当時の僕達にはそういった行為は格好の良いネタだった。 見かねて、メルヴィナが「やめないよ!」って、 怒って収まったけれど、 オロオロしていたソニアは僕の所に近づいてきて、 「内緒だよ内緒」と言ってきた。 僕は理由が解らなかったけど「うん」と答えた。 メルヴィナは僕達と同い年だけれど、 かなり精神が大人だった。 仲良くても、子供だからほんの些細な事で喧嘩をしてしまう。 そんな時は、いつもメルヴィナが間に入って、 「喧嘩しちゃだめ!」って言うんだ。 どっちも悪いって言ってね。 ドラガンやミルコ達がイタズラをしても、 危ないから駄目って叱ったりして、 お姉さんみたいな存在だったな。 ソニアは大体オロオロしてて、 小動物みたいだった 僕は守ってあげなきゃって、思ってた。 ・・・ああ、そうだ、何で戦争が起きたか? そういうのを説明しなきゃ駄目だよね? 後で説明しようと思っていたけれど、 先に簡単に書くね。 この国はキリスト教圏だったのだけれど、 十五世紀くらいにオスマントルコの支配下に入った。 現地のスラブ人がムスリムに改宗したりして、 ムスリムの比率が高まったんだ。 その後、セルビア王国は、セルビア人を優越して、 他のクロアチア人、ボスニア人は不満を抱いていた。 特に、クロアチアの人々は民族意識が高くてね、 そして各民族の民族意識の高さが、 第一次世界大戦へと繋がっていくんだ。 この事は、皆知っていると思うので書かない。 そして第二次世界大戦、 この地域の大半がナチスドイツの傀儡国家として、 クロアチアの支配下に組み込まれたんだ。 この支配下では、 クロアチア民族主義組織ウスタシャよって、 セルビアの人々は三十~百万の人々が殺害された。 これに対してセルビア民族主義組織チェトニクによって、 クロアチアやボスニアの人々が殺された。 この時期、フォーチャをはじめとする各地で、 クロアチアのウスタシャと、 セルビアのチェトニクによる 凄惨な民族浄化の応報が繰り広げられたんだ。 チェトニクはクロアチアやボスニアの人々を徹底的に虐殺して、 犠牲者はクロアチア二十万人、ボスニア九万人ぐらいって、 チェトニク側から公表されてる。 この民族浄化っていうのは、市民を襲う。 女や子供はレイプしたり殺したりする。 男は喉を切って殺される。 何でここまで殺しあうんだ?って思うけど、 ユーゴスラビア王国による政策に問題があったと思う・・・ 建国当初セルビアによって国は占められていて、 民族意識の強いクロアチアの反発が絶えなかったんだ。 そこにウスタシャがつけこんで、 反セルビア、打倒セルビアへと支持を拡大しながら突き進んでいったんだ。 これは、ユーゴ崩壊につながるクロアチア紛争や ボスニアの紛争にも繋がっていく。 一方で、チェトニクは大セルビア主義という、 西バルカンはセルビア人の土地っていう認識を持ってた。 歴史を見れば、他の民族の勢力下にいたセルビアは、 何度も虐殺とかの犠牲になってる。 自分たちによる自分達の国家を作ろうって、 そして守ろうって考えたんだ・・・ 皆、殺したくて殺してるんじゃなくて、 殺さなければ殺されるって意識の下で戦ってたんだ。 だから単純に誰が悪いとは言えなくて、 バルカン半島が火薬庫である理由なんだ・・・ ・・・楽しい夏休みは、 あっという間に過ぎ去って九月になっていた。 今までは、平日は学校の八人で遊び、 休みの日にはソニアの家に僕一人で行っていたのだけれど、 夏休み明けには、 土曜日には皆でソニアの家に行くようになってた。 僕の場合は、 日曜日にも一人で遊びに行っていた。 今考えると行き過ぎだったと思う。 でもソニアと会いたくて、 遊びたくて仕方が無かったんだ。 ソニアやソニアのパパ・ママもまた来週って、 帰り際に言ってくれてね。 出会って数ヶ月だというのに、 まるで小さい頃から一緒だった幼馴染のようだったな。 九人で遊ぶ時は秘密基地で、 ソニアと二人で遊ぶ日曜日はソニアの家で過ごしていた。 たまに学校の別の子と遊んだりもしたけど、 携帯電話とかがなかったから、 遊んだ日に次の約束をして、 どうしても行けない時はソニアに電話して伝えてた。 十二月に入るとセルビアやクロアチアの人々が 慌しくクリスマスの準備をして、 小さい街ではあるけれど、少し華やかになったのを覚えている。 ボスニアの人たちは基本的にムスリムだから、 普段と変わらない生活だったんだけどね。 僕と父さんは久しぶりに休日を一緒に過ごした。 休みの日は殆ど家に居なかったからね。 父さんは色んな料理を作ってくれた。 どれもやっぱり美味しくなかったけれど、 それでも嬉しかった。 父さんは「外国で生活させてしまってごめんな」 といった事を言われたけれど、 僕にとっては、この国が故郷のように感じていたし、 何より僕に居場所があるというのが嬉しかった。 だからこの国で一生暮らしたいって言ったよ。 父さんは笑いながら「ここしか仕事ないし、永住するか」 みたいな事を言ってた気がする・・・ 新年が過ぎ、冬の季節になった。 日本と比べてそこまで寒いわけではないと思っていた。 けれど、実際には急に冷え込んだりするから、 常に厚着をして、 厚い時は脱いで手に持ったり、リュックに入れたりしていた。 皆で雪だるまを作ったり、 丘から雪だるまを落としたりして遊んでいた。 周りは広い平原というか高原、 そして山々に囲まれた盆地だったから、 本当に一面が真っ白で、ソニアの家から見る景色は綺麗だった。 確かこの時、雪合戦をしたんだ。 皆で雪の壁で陣地を作って、四、五に別れて、 ドラガンの奴が雪をかなり硬く固めて、痛かった。 あぶないなぁーなんて思ってたら、 それが丁度サニャの目に当たっちゃったんだ。 サニャは涙ぼろぼろ流しながら、 大丈夫、大丈夫って言ってたんだけど、 それを見たカミユがぶち切れてしまって、 ドラガンにつかみ掛かってた。 止めなきゃって思ったんだけど、 この時はメルヴィナが好きにさせときなって言ってさ 「男の子なんだから、 たまにはああやって喧嘩しないと分かり合えない」 みたいな事を言っていた。 皆はメルヴィナを頼り 「やべー!メルヴィナ、やべー!」って口々に言った。 少し経つと二人とも青タン作りながら、 喧嘩をやめて、ドラガンがサニャに謝った。 「怪我をさせるつもりじゃなかったごめんね」 みたいな事言ってた。 メルヴィナが僕の後ろでぼそっと言ったんだ。 「悪いと思えば、悪いと思うほど、 素直に謝れない時があるよね、あそこで二人が喧嘩をすれば、 ドラガンは素直に謝れる、良かった」ってね。 メルヴィナは長女で弟が確か何人かいたんだ。 だからかもしれないけど、 色々と観察して、何時も一人冷静に注意とかしてくれた。 とても優しくて、強い子だった。 この時期は、 ソニアママの言いつけで、 危ないから秘密基地には行かないって、 皆約束させられてたな。 ・・・そして気づけば五月。 この国で過ごして一年が経過していた。 毎日が充実して、予定が一杯あって、 忙しい日々だったと思う。 それでも、この一年がとても長く感じた。 充実した一年ではあったけれど。 僕の家に八人を招待して、 皆でお祝いパーティーみたいのをしたんだ。 父さんは料理が下手だっていうのに、 気合を入れて日本料理を作ったりしてさ、 でも皆の口には合わなかったらしく、 全員引きつった顔をしていたよ。 僕も不味くて引きつった表情してしまったけれどね。 それでも、父さんは、 僕が友達を作って、そして毎日仲良く過ごしている事に 喜んでくれているようだった。 この時は、 ずっとこの幸せな期間が永遠と続くと思っていたよ。 ・・・六月末頃だったと思う。 隣のフルヴァツカで戦争が始まったんだ。 隣国だけれど、 自分達には特に関係がないものだと思っていた。 実際にはそう簡単な問題ではなかったんだ。 街だけでなく、学校のクラスにおいても、 セルビア・クロアチア、そしてボスニアの間で 気まずい状況になり、ついにはクラスの席が民族ごとに 別れる様な状態になってきた。 言うまでも無く、 今までのように放課後一緒に遊ぶ事は出来なくなったんだ。 ただ、まだ大きな紛争にはなっていなかった。 まだフルヴァツカだけの話で済んでいたんだ。 だから、民族間の陰での対立が始まる兆候が見えてからも、 僕達は大人に隠れてこっそりと、 秘密基地に集まっては九人で遊んでいた。 関係ない話だったんだ。 僕達にとって大切なのは民族や宗教じゃなくて、 目の前にいる友達だった。 何があっても僕達は仲間だ。 一緒に助け合っていこう、ずっと一緒だ、 そういった約束を交わしたんだ。 そうだ、言い忘れてたけど、 僕は日本人で、 ソニア、サニャ、メルヴィナ、カミユ、メフメット、カマルは、 ボスニアでムスリム。 ミルコはクロアチアでローマ・カトリック。 ドラガンはセルビアでスルプスカ・プラボスラニナ。 スルプスカ・プラボスラニナっていうのは、セルビア正教ね。 僕達は友達であり、お互いに信頼し合う仲間だったけれど、 同じ言葉を話しているとはいえ、違う民族、 そして違う宗教を信ずる集まりだったんだ。 僕達の地域は五割くらいがボスニアで、 四割がセルビア、一割がクロアチア、 みたいな感じだった。 その年の夏休みに入っても、 去年のように表立って遊ぶという事は出来なくなっていた。 少しずつではあるけれど、 着実のこの国でも民族間の対立、宗教の対立、 そして過去の負の因縁の対立が次第に高まってきていた。 大人たちは違う民族間で話さないようになっていたし、 話してはいけない雰囲気になっていたんだ。 父さんは、もしかしたら戦争になるかもしれない、 お父さんは仕事をやめる事が出来ないが、 祐希は日本へ帰りなさいって、 何度も言われたでも、 僕は友達を残して日本に帰るなんて出来なかった。 それに戦争というものを理解していなかったんだ 戦争にならないようにすればいいでしょ、 そんな風に思っていた。 基本的に同じ民族、殆ど同じ宗教の人々が暮らす日本で育ったから、 理解できなかったんだ。 民族間の対立というものを・・・ そして九月になった。 今まではクロアチアの軍と、 フルヴァツカ在住のセルビアの人々との衝突だった紛争が、 九月末頃には、 フルヴァツカ軍とセルビアを主体とした、 ユーゴ連邦軍の戦争へと発展したんだ。 この国では、ボスニアが人口の過半数を占めていて、 僕の住んでいたカリノヴィクも例外じゃなかった。 日が経つに連れて、 街の中ではクロアチアとセルビアの人々の関係が悪化して、 時々通りで大人同士が喧嘩をするようになってきていたんだ。 十月に入ると、ボスニアが大半を占めるこの国では、 連邦から脱退しようという声が広がって、 ついに政府が主権宣言みたいのをしたんだ。 連邦内の国家じゃなくて、 一つの独立した主権を有する国家となるという宣言なんだ。 父さんから説明されても、当時は理解できなかったけれど、 その宣言によって、街の中はさらに緊迫した状況になった。 学校の中でも、子供であるにも関わらず、 民族どうして一緒に行動して、 そして喧嘩が起きたりしていた。 最近までは一緒に遊んでいたのに、 街や学校、恐らく国内全域で、 クロアチア人・ボスニア人・セルビア人の間で、 緊迫した状況になっていたんだと思う。 親には外で遊ぶのは辞めなさいと言われるようになっていたし、 一緒に遊んでいた八人も親から同様の事を言われていた。 大人は、例え子供であったとしても、 他民族の子には冷たくするようになってきていた。 今の東京の比じゃないくらい、寂しく悲しい街へと変わっていたんだ。 年が明けて、 1992年になっても、状況は好転せず混迷を極めていた。 民族ごとに武装の準備を始めたり、 時には街中で銃を持ってあるく市民も出始めていたんだ。 初めて目にする銃は怖かった。 でも非現実的な光景に見えて仕方が無かったんだ、 まさか、そんなのを使うわけ無いでしょ?ってね。 クロアチアとセルビアが対立してるのは分かったけど、 何でボスニア人も?って思ったんだよ。 だけどクロアチア紛争の発端は、どっかの競技場?で、 ボスニア人がセルビア人を殺してしまった事から始まったらしい。 勿論、それ以前から問題はくすぶっていたんだけど、 それが爆発するきっかけを作ってしまったんだ。 そして、ボスニア領内でも、 彼らは自分達の国を作ることを望んでいた。 つまり、僕達が住んでいた国、 即ちボシュナは連邦から独立を宣言したんだ。 それと同時に、このボシュナは三つの国にわかれた。 一つはボスニアの人々のボシュナ、 もう一つはクロアチアの人々のヘルツェグ=ボシュナ、 そしてセルビアを中心とするスルプスカに。 僕達の居たカリノヴィクは、 このスルプスカの領内だったんだ。 この時点で、もうこの国において、 民族同士の衝突、戦争は避けられない状況になっていた。 僕達の街からも、首都サラエヴォに向けて、 脱出するボスニアの人々が出てくるようになった。 ただ、まだ血で血を洗う戦争には発展していなかった。 セルビア人共和国となったとはいえ、 実際にそれを世界に向けて宣言したわけでもないし、 まだ平和的に解決出来るかもしれないという希望があった。 僕まだ小さくて理解しきれていなかったのだけれど、 こんな状況でも九人でこっそり会い、秘密基地で遊んだり出来ていた。 以前のように堂々と遊ぶことが出来なくなっても、 僕達の友情というか結束みたいのは少しも崩れて無かったんだ。 むしろ、周りから遊ぶなって言われれば言われるほど、 強くなっていったように思う。 三月後半になってくると、 首都サラエヴォの方でセルビアの民兵達が、 何かをするらしいという噂が、街で耐えなくなった。 民兵という言葉自体を理解していなかったから、 何かあるんだーといったような感じで、 気にも留めていなかったんだ。 父さんは、この緊迫した状況を考えて、 僕だけでも日本に帰国させようとしていた。 当然、僕はそれを拒否するだろうと考えたらしく、 僕には内緒で、仕事でサラエヴォに行くと言って、 僕をソニアの家に預けたんだ。 今思えば、あれは僕を一人残して、航空券を買いにいったんだと思う。 「明日になったら、帰ってくるから、いい子にしていなさい」と言ってた。

■第二章 【フォーチャへの脱出】

翌日の四月五日。 父さんが帰ってくるまで遊んでいようと思って、 秘密基地でいつものように遊んでたんだ。 ただ、この日にドラガンだけは来なかった。 用事があるとか言って。 夕方近くになった頃だった。 街の方から大きな音がしたんだ。 皆びっくりして、急いで丘を駆け上がったんだよ。 そしたら、街から黒い煙が上がっていて、 時々小さな乾いた甲高い音が聞こえてきてた。 僕は何の音かわからなかったんだけど、 ミルコが「銃の音だ!」って叫んだんだよ。 血の気が引いたのを覚えてる。 ソニアやサニャ達はおろおろして泣き出しちゃってさ。 ミルコやメフメット、カマルは家に帰らなきゃって叫んで、 街に向かって走っていった。 止めればいいものを、状況が理解出来ない僕は、 ぼーっと立ち尽くしていたと思う。 多分、三十分位そこでぼーっとしていたかな。 もっと長くそこで立ち尽くしていたかもしれない。 大きな音を出しながら、 何台かの車がソニアの家の方向に向かって来てた。 あれって何だろうって思っていたんだけど、 カミユが「セルビアの奴らだ…」って呟いたんだ。 ソニアは家に帰ろうとしたんだけど、 カミユや僕で必死に止めた。 それで、様子を見ようってことで、 カミユが何時も持ってきていた双眼鏡で、 ソニアの家を覗いてたんだ。 最初は、「セルビアの兵士が家の中に入ってる、 外にも何人かいる」って感じで説明してたんだけど、 途中で「あっ」って言った後、カミユは何も言わなくなっちゃった。 メルヴィナと一緒に、どうしたの?って 何度聞いてたんだけど、何も言わなくてさ。 おかしいな?って思って、少し身をを乗り出して見たんだ。 そしたら、 さっきの車二台が僕達の方向に向かってきてるんだよ。 「何で!?何でわかっちゃったの!?」って口々に言って カミユが涙目になりながら、 わからないけど目が合っちゃったって言うんだ。 今考えれば、双眼鏡の反射か何か。 でも当時はそんなの解らなかったんだ。 カミユは僕のせいだ。僕のせいだ。って泣いてた。 このままだと、 もしかしたら僕達は捕まってしまうかもって思ったんだ。 考えてみれば、敵かどうかもわからない。 それなのに、僕達はもうそのセルビア達を敵だと思ってた。 多分、あれは直感というか本能的なものだったと思う。 だって、味方は銃を持って来ないでしょ。 少しずつ車が近づいてくる音がして、 この場所にいるのは不味いと思ったんだ。 僕は四人に急いでこの場所を離れて隠れようって言った。 僕は泣いているソニアの手を引っ張って、 カミユとメルヴィナはサニャの手を引っ張って、急いで走った。 だけどさ、僕達は八歳そこそこの小学三年生の子供だ。 必死に走ったところで、逃げ切れるわけがなかった。 二百メートルくらい離れた小さな木の下に隠れたけれど、 ゆっくりと車が近づいてくるのがわかった。 心臓が高鳴って、次第に息苦しくなっていった。 頭の中では落ち着け。落ち着けと言っているのに、 体中から汗が出てきて、静かにしなきゃいけないのに、 鼻から息が吸えなくてさ。口で音を出しながら息をしてた。 すぐ隣のソニアやサニャ達は、 泣かないように必死に口を押さえてるんだよ。 でも、カチカチって歯の音がしちゃって。 止めようとしても、その音が止まらないんだ。 正直に言って、もうダメだと思った。 殺されるとか、そういうのはまだわからなかったのに、 ああ。もう終わった。 そんな感覚に陥っていた。 多分、皆も同じ感覚だったと思う。 車の音も大きくなってきて、セルビアの民兵達の声も、 鮮明な声ではないけれど、聞こえてきた。 何か恐ろしいことを言っていた気がするけれど、 恐怖でそれを理解するほど、覚えているほど、 僕に余裕がなかった。 見つかるのも時間の問題だったんだ。 そしたら少し離れた所に隠れていたカミユが、 僕を後ろに引っ張って、小声で囁いたんだ。 他の女の子には聞こえないようにしながらね。 「このままだと見つかってしまう。 僕がセルビアを引き付けるから、その間に皆を連れて逃げてくれ」 それを聞いて驚いたよ。 そして、もしかしたら助かるかも?なんて考えてしまった。 でも、それをやったらカミユはどうなる? 「危ないよ。ここで皆で静かに隠れてよう」 僕は慌てて言い返したんだ。 だけど、カミユは、それだと見つかるって。皆殺されるって言うんだ。 「引き付けた終わったら、後を追いかけるから大丈夫」 僕はわかったって答えた。 もうそうするしかないように思えたんだ。 そしたらカミユはニコって笑ってさ、良かったって言いって 「サニャの事、僕が戻るまで守ってあげてね」って。 そう言い終わると、返事を聞かずにカミユは 僕たちが隠れている方向とは反対側に、 身を低くしながら走っていった。 僕は三人に、 カミユが引き付けるから、その間に逃げるって伝えたんだ。 ソニアやサニャは駄目!駄目!って言うんだけど、 メルヴィナは「そう」って呟いただけだった。 セルビア民兵が僕達まで、 三十メートルぐらいまで近づいた時だったと思う。 向かい側の離れたところから、カミユの声が聞こえた。 たしかセルビアを馬鹿にするような言葉を発していたと思う。 それに気づいたセルビアの兵士たちが大声を出しながらそっちに走った。 僕達はそれを見て少し経って急いでその場から逃げたんだ。 メルヴィナがサニャを、 僕がソニアの手を引き我武者羅に走った。 そしたら、後ろの方から乾いた音が何回か聞こえた。 パパン、パパンだったかな。 それと同時に、さっきまで叫んでいたカミユの声が聞こえなくなった。 まさか?と思って、立ち止まりそうになった。 引き返さなきゃって。 そしたら、メルヴィナが「止まっちゃ駄目!」って言ったんだ。 引き返したら、カミユの行動が無駄になるって、 息が続く限り走ったと思う。 それでも、移動した距離は一キロにも満たなかっただろうけれど。 肩で息をしながら、もう大丈夫だね。って言い合った。 そこからは歩いて山の下まで行って、夜になるまでカミユを待った。 だけど、結局カミユは来なかった。 薄々気づいていたよ。 あの音がしたときにカミユは殺されちゃったんだって。 でも、信じられなかった。 もしかしたらって思ってさ。口にする事が出来なかったんだ。 気づいたら、みんなで涙流しててさ、 人が死ぬって事は深く理解できる年ではなかったけど、 それでも涙が一杯出てきたんだ。 カミユがサニャの事が好きだってのは気づいてた。 僕たちはサニャもカミユが好きっていうのは知ってた。 だけど、怖くて止められなかった。 カミユが引き付けてくれれば、助かるかもしれないって思って。 泣きながら、サニャに「ごめん。ごめん。」って何度も謝った。 僕が殺したようなもんじゃないか。 サニャはさ、自分だって悲しいはずなのに笑顔作って、 「祐希は悪くないよ」って言うんだ。 太陽が沈んで辺りが暗くなった頃、山から出て道をあてもなく歩いた。 何でこんな事になってしまったんだろうとか考えながら。 沢山の星が綺麗に輝いてるのに地獄だって思ったよ。 二時間。 それくらい歩いてたと思う。 草陰から音がして、何人かの大人が出てきたんだ。 またセルビアかと思って、びっくりして逃げようとしたんだ。 だけど、ソニア達のヒジャブを見たからか、 僕達がボスニアだとわかったみたいで、 ボスニアの大人がこっちに来なさいって言ってくれたんだ。 その人たちは、街で起きたことを教えてくれて、 これからフォーチャへ向かって、 それからゴラジュデに向かうから一緒に来なさいって言ってくれた。 ソニアやサニャは家に帰りたいって言ったんだ。 だけど、街にはセルビアの民兵や軍が来て、 ボスニアやクロアチアの人たちを連れて行ってしまったから、 行っちゃ駄目だって。 首都のサラエヴォでも戦争が始まったって言ってて。 僕達は黙ってついていくしかなかった。 ライトを着けない車で、 街の反対側の山からフォーチャに向かったんだ。 車の中でさ、僕はまた泣きながら、 カミユに親切にしてもらったのに…って泣いていた。 そしたら、サニャが僕の背中を擦りながら、 「カミユが小さい頃に 死んじゃったお兄さんが祐希とそっくりだったんだ。 初めて会った日にカミユは嬉しそうに話してて、友達になりたいって。 カミユは怒ってないよ、悲しんでもいないよ。安心して」って。 そんな感じの事を言われたんだ。 その時、僕が空き地で眺めていた時に、 何で話しかけてくれたのかとか、 何で休み時間に教室に来てくれたり、一緒に沢山遊んでくれたり、 優しくしてくれたりしたのかとか、 不思議に思っていたことが繋がった。 好きだった子が死んじゃって、 僕よりも長く過ごしてたカミユが死んじゃったっていうのに、 メソメソしている僕を慰めてくれてるサニャを見て、あの時 僕が勇気を出して行ってればって。 僕が行けば良かったって後悔した。 同時に、カミユとの約束、 サニャを今度は僕が守らなきゃって。 何かあったらカミユのようにして守らなきゃって誓った。 まさか、さらに悲惨な未来が待っているとは、 想像していなかったよ。 車で舗装された道の近くまで来たところで、 大人たちがここから先は歩いて向かうって言ったんだ。 僕達は、何で歩いていくの?まだ遠いよって言ったんだけど、 フォーチャへ向かう道はここしかなかったんだ。 サラエヴォではセルビア人の警察や軍が都市を包囲して戦いが始まって、 この道にもセルビア人のスルプスカ軍がいるかもしれないから、 歩いて山を越えることになったんだ。 実際に山中を登って下ってというわけではなくて、 道から数百メートル離れた木々の中を歩いていった。 まだ夜で周りは真っ暗で、すぐ目の前もよく見えなかった。 月明かりだとか、星空だとかで、 案外見えるんじゃないかって気もしてたんだけど、 木々に覆われた中では、 光は枝葉に遮られ本当に暗かった。 風で揺らされた枝葉が擦れる音とか、 鳥か何かの声がしたりして、とても不気味だった。 怖かったとしても進まなきゃいけなかったんだ。 サラエヴォに向かうのは危険で、 だから僕達に残された道はゴラジュデしかなかったんだよ。 幼い僕達にとって、 夜に寝ないで歩き続けるって言うのは、想像以上に辛いものだった。 家族がどうなったかわからないし、 僕も父さんがサラエヴォでどうなったか、生きているのか、 それとも僕がカリノヴィクを脱出した後に戻ってこれたのか、 心配してないか、色々と不安だった。 不安という一言では伝えきれないほど、 頭の中では色んな事がごちゃごちゃと渦巻いていた。 体力的にも、限界は近づいて、足は重いし、 足元も良く見えなくておぼつかない。 時折、ガサガサと音がするだけで皆が伏せて、 常に周りを警戒しながら歩いてた。 真っ暗でよく見えないお化け屋敷の中を延々と歩くような。 いや、起伏に富んでいて足元が悪く、 見つかったら殺されるかもしれないという不安が追加されている。 もう歩きたくなかった。 大人におんぶしてもらえたら、どんなに楽だろうって何度も思ったよ。 でも、僕達は言い出せなかった。 なぜなら、僕達よりも小さい子が歩いてるんだよ。 僕達よりも辛いはずなのに歩いてるんだ。 だから耐えるしかなかったんだ。 とはいえ、徒歩で山中を歩くのは時間がかかる。 空が赤くなり、少しずつ夜が明けてきた頃だったと思う。 フォチャ途中にあるミジュヴィナという街のすぐ近くまで来ていた。 内心、やっと休めると安心したよ。 だけど、周りがどんどん明けてくるに連れて、 その考えが甘かった事に気づかされた。 小さな街なのだけれど、そこからは黒い煙が立ち上っていた。 誰も口には出さなかったけれど、 カリノヴィクと同じ状況になったというのは明白だった。 しかし、このままフォーチャに向かうのは不可能だったんだ。 僕達のグループは、大人数名に子供数名、 そして赤ちゃんまでいたんだよ。 まだ四月とはいえ、喉はカラカラでお腹も空いてた。 赤ちゃんに至っては、もう元気が無くてぐったりしていた。 だから、一人の男性が街に行って、食料とかを調達してくることになった。 もしセルビア人に見つかったら、殺されてしまうのではないか? といった疑問もあったけれど、 彼はセルビア人とボスニア人のハーフだったから、 大丈夫だよ、と言って出かけていった。 待っている時間はとても長く感じた。 もし帰ってこなかったらこのままフォーチャに向かうしかない。 そして、向かったとしても、 このミジュヴィナと同じ状況になっているかもしれない。 未来が見えなかった。 希望の光が見えなかったんだ。 幼い僕ですらその状況なのだから、 大人たちはもっと深刻に感じたいたかもしれない。 まだ肌寒い季節なのに変な興奮状態からか、 体は火照っていたように思う。 恐らくは疲労の為に体が熱くなっていたのかもしれない。 彼の帰りを待ち続けてから、四時間ほど経過していたと思う。 時計を持っていなかったから、何時頃かまではわからないけれど、 お昼近かった、もしくは過ぎていたかもしれない。 待っている途中に、何度か道路を車が通り過ぎて、 その度に皆で伏せたりして身を隠し、 物音を立てないようにしていた 普通であれば、通り過ぎる車は市民であったり、 伐採した木材を運ぶトラックだったりだけど、 この時、通過していった車は、武装警察か民兵、 ユーゴから抜けたセルビアのスルプスカ軍だったと思う。 もしかすると、 フォーチャも既に同じ状況かもしれないという不安が、 車を目にする度に、確信に変わってきていた。 それでも、街から彼が戻ってこない限りは、どうする事も出来ない。 何時になったら戻ってくるんだろう。 もしかして何かあったのかもしれない。そんな不安も過ぎっていた。 だけど、何かあれば街から音がしたりするんじゃないか、 いや、距離があるから聞こえないといったやり取りを、 大人たちはしていた気がする。 僕やメルヴィナたちは、特にする事もなく、 息を潜めながら、小さい子供達をあやして待っていた。 すると、朝に食料や水を取りに行ったボスニアの人が、 セルビアの青年二人を連れて、 僕達の隠れている方向に向かってきたんだ。 皆は混乱した。何人かの大人は、彼が僕達を売ったと言ったり、 仲間になってくれるんじゃないか?と言ったりして、話し合っていた。 しかし、このままここで待っているのは危険すぎる。 もし本当に彼が裏切ったとしたら、僕達の運命は終わったも同然だ。 だから、この場から離れて逃げようといったり、 隠れてセルビアの青年たちの様子を見て、 隙があれば殺そうといったりして、揉めた。 この時、話し合いを聞いていたけれど、 子供達は長時間の移動と緊張の連続で疲れ果てていた。 だから、「どうなるんだろう」と考えていて子供達は静かだった。 結局、すぐに結論が出る話ではないわけで、 僕達は見つかる前に、とりあえず隠れる事にした。 様子を見てから決めても遅くは無いってね。 相手は武器も持たない青年二人。 両手に大きな荷物を持っている。 例え武器だとしても、取り出す前に殺せると考えたんだろうと思う。 恐らく、百メートルぐらいまで近づいてきた頃かな。 ボスニアの彼と、セルビアの青年二人が、手を振り出したんだ。 もしかして、僕達を狙っていないんじゃないかって大人が言い出した。 でも、また別の人が、いや、これは罠だ。って言い出した。 どっちかわからないんだ。 他民族どころか、もう同じ民族の人間ですら、 朝まで共に行動していた人間ですら信用できなくなっていた。 僕自身は日本人ではあるけれど、 僕もボスニアの仲間という意識が芽生えていたように思う。 それからしばらくの間、僕達は三人のことを注意深く観察したんだ。 実際に観察していたのは大人で、 僕達子供はその様子をちらっと見たり、聞いたりするぐらいだったけれどね。 何か手を振る以外に何らかの行動を取ると大人たちは思っていたけど、 彼らが何かをする素振りは見せなかった。 ただ、手を振って、そしてじっと待っているだけだったんだ。 そしたら、こんな時に限って、 先ほどまで静かにしていた赤ちゃんが泣き出したんだ。 そりゃそうだよね。 もう丸一日以上ろくに水分補給もしていないし、 赤ちゃんが泣くのは仕方が無い。 でも、タイミングが最悪だった。 当然、彼らはすぐにこっちに気づいたよ。 大人たちは、彼らと目があったのか、それとも彼らがこっちに振り向いたのか、 「あぁ・・・」といったような諦めの言葉を発した気がする。 気づかれてしまい、もう駄目だって雰囲気が、僕達の中を包み込んだんだ。 だけど、彼らはこっちに気づくとさ、ニコニコしながら向かってきたみたいで、 僕達の目の前まで来た時も、安心したような表情を浮かべて、 三人で来た経緯を話してくれた。 彼らが話していた内容は、長くて殆ど覚えてないから、簡単に要約するけれど、 セルビアの青年二人の街ミジュヴィナでもカリノヴィクと同様の事が起きたんだ。 つまり、非セルビアの人々にセルビアの警察が襲い掛かってさ、 連れて行ったり、抵抗する者は見せしめに殺したりレイプしたりしたらしい。 ハーフの彼が街に入った時、 ちょうど亡くなった遺体を積み上げていた所だったらしい。 それで、この時一緒についてきたセルビアの青年二人が、 ハーフの彼に気が付いて、ここは危ないから、 早く逃げるように言ってくれたんだって。 だけど、食料と水が無い状態ではゴラジュデどころか、 近くのフォーチャにもたどり着けないって説明したって。 小さい子供や、年配の老人もいるから、食料と水が必要って。 そしたら、二人が別けてあげるって言ってくれて、 そして自分たちも付いていく言ったんだって。 ハーフの彼は断ったらしいんだけど、 もし自分達がついていけば、万一民兵や警察に見つかった時でも、 二人が出て行けば誤魔化せるかもしれないからってさ。 彼らが言うには、ミジュヴィナの街で、その虐殺というか、 さっき言った様な事態が発生した時に、 何人かのセルビアの人々は、 ボスニアやクロアチアの人々に危害を加えるのに反対したらしいんだ。 昨日まで隣人として暮らしていた人々を殺すのは止めようって。 でも、そう言った人たちの殆どは、警察に酷い暴行を受けたり、 殺されてしまったんだって。 だから、自分たちはこんな所に居れない。 居たくないって事だったらしい。 話を聞いた後、大人たちだけで話し合って、 結果的には一緒に行動する事になった。 それで、山の中で食事や休憩を済ませた僕達は、 夕方になるのを待ってから、フォーチャに向けて歩き出したんだ。 フォーチャへの道のりは、車だとそこまで遠いわけでもないのに、 とても長く辛く感じた。 これからどうなるかもわからない不安の中で歩くのは、 とても根気のいる事だったんだ。 夕方の時間帯は何とか大丈夫でも、夜になればどうしても眠くなるんだ。 ただ、夜のうちに行動したほうが安全だから歩くしかなかった。 人間ってさ、本当に眠い極限状態の時は、 どんな状況でも寝れるみたいでさ、 子供だけでなく、大人でさえも、半分寝ながら歩いていたんだ。 子供に至っては、ふらふらしながら歩いていてさ、 危ないからということで、皆で手を繋いで、一列になったんだ。 小さい子がウトウトしても、大きな子や僕達ぐらいの年の子が 転ばないように注意しながら支えて歩いた。 それで何とか、朝が明ける前にフォーチャ付近までたどり着いた。 フォーチャの街に入るには、本当は橋を渡った方が近いし楽だったけど。 だけど、橋の付近にはセルビアの、 スルプスカの警察や軍が検問を張っているかもしれない。 一緒について来てくれたセルビアの二人は、橋は避けたほうが良いと言うので、 僕達はフォーチャ手前で川を直接泳いで渡り、越えることにした。 ただ、体力的にも限界が近づいていた僕達には、 水の中を泳いで渡るのはとても過酷だった。 渡る途中で、母親におんぶされていた幼児が流されてしまって。 助けなければいけないのに、 誰も泳いで幼児の所まで行く体力が残っていなかったんだ。 母親は子供の元へ泳いでいこうとしたんだけど、 他の男の人に止められたみたいで、 結局僕達は、その幼児が流されて沈んでいくのを、 見ているだけしか出来なかった。 川を渡って、山の方からフォーチャ市内へ向かった。 街はカリノヴィクやミジュヴィナと違って、 家が燃えたり人の悲鳴が聞こえたりって状態にはなっていなかったんだ。 僕達はホッとした。 そして、セルビアの二人が念の為に様子を見てくると言って、 先に街の中へ入っていった。 多分一時間くらいして戻ってきて、大丈夫だから行こうという事になった。 この日は、カリノヴィクから逃げてきてから大体二日ほど経った日で、 1992年の4月7日だった。 もし、フォーチャでもカリノヴィクと同じ事が起きていたら、どうしようと思ってた、 実際にはまだ何も起きていなくてさ。 とりあえず、皆は安堵して、親戚や知人がいる人たちはその家に向かい、 行き場のない人達、僕等はモスクへ向かったんだ。 以前ソニアやソニアパパと来た時は、街もかなり活気があって、 人々が溢れていたのだけれど、この時は人が少なくて、 多分外に出ていなかったんだと思う。 それがとても印象的だった。 僕達が向かったモスクは、 前にソニア達と一緒に来たモスクだったんだ。 あの時は、まさかこんな形で、 再び来る事になるとは思わなかったけど、安心した気がする。 これからどうしたらいいのかとか、父さんは無事なのかとか、 色々と聞きたい事や不安は山積していたのだけれど、 緊張や疲労から体力的に限界がきていた僕やソニア達は、 着いてからすぐに寝てしまった。 たったの数日、二日ほどの出来事だったのに、 ゆっくりと安心して建物の中で寝られるのが久しぶりに感じた。 目が覚めたときには、もう辺りは暗くなっていて、夜になっていたんだ。 かなり長時間、寝入ってしまっていたんだ。 起きたら何だかトイレに行きたくなって、 僕は大人の人を呼んで一緒に行ってもらおうと思った。 早朝まで暗い山の中を歩いて来たというのに、 変だけど、トイレに一人で行くのが怖かったから。 でも、周りを見渡してもモスクの中に大人が誰も居なかった。 あれ?おかしいな。 もしかして夢なのかな?とか、まだ寝起きで、 頭がぼーっとしていた僕は思っていたんだ。 だけど、少ししたら外が騒がしいのに気づいた。 どうしたんだろうと不思議に思って、 モスクの外に出て周りを見渡したんだ。 そしたら、街中から人の悲鳴とかが聞こえてきて、 時々、つい先日、 耳にしたのと同じような乾いた銃声の音が聞こえたんだ。 嘘だと思った。 やっと安心できると思ったのに、たった一日、 いや一日も経たずに、こんな事ってあんまりだと思って、自分の目を疑った。 でも、何か目を擦っても、耳を叩いても、 目に見える光景や音は変わらなかったんだ。 そしてよく見ると、 街の所々から火とか煙が上がっていて、信じたくなかったけれど、 これが夢の世界の出来事なんかじゃなく、 現実に起きている事だと受け入れるしかなかった。 そう考えたら、さっきまで何ともなかったのに、 急に足の力が入らなくなってしまって、地ベタに座って立てなくなったんだ。 心のどこかで、もう逃げ切れないんだな、ここで死ぬしかないんだなと感じた。 希望を持たなければ、ここまでショックを受けなかったと思う。 フォーチャに着いて大丈夫かもしれないと希望を持ってしまったんだ。 それをもがれるのは耐えられるものではなかった。 それから少しの間、その状態のまま座っていたと思う。 気づいたら、周りに一緒にここまで行動してきた大人達が居て、 その人たちも同じように唖然とした表情で街を見つめていた。 恐らく、最初から近くにいたのかもしれないけれど、 街の状態でショックを受けていた僕は気づかなかった。 そのまま僕はまたじっと、燃える街を見ていたんだ。 そしたら、ソニアが起きてきて、僕の隣に来たんだ。 「祐希ー、街が綺麗だねー。わー赤い星がいっぱいだよー」 といった感じの事を笑いながら言うんだ。 一瞬、僕はソニアが何を言っているのか 理解できなくて、表情を見たら、何か笑っているけど、 目の焦点が合わないような表情をしていた気がする。 おかしいって思って、何言ってるのか何度も聞いたんだ。 だけど、ソニアは笑って綺麗だね、しか言わないんだ。 物じゃないけどさ、ソニアが壊れちゃったと思った。 僕はどうしたら良いのかわからなくて、 ソニアの事も相まって少し混乱しちゃってさ。 もう考えるのは無駄だとか、諦めようとか、マイナスの事を考えたりした。 だけど、このまま諦めたらソニアやメルヴィナ、サニャはどうなる?って思って、 このままだとカミユの行動が無駄になるって考えたんだ。 サニャ達を守るって誓ったのに、 このままだとその誓いも破ることになってしまうって。 だから、三人を連れて街から逃げようとしてさ。 行くあてもないし、ましてやこの国の人間ではない自分には頼れる人もいない。 それでも、ここに留まっているよりは、マシな選択に思えたんだ。 逃げるなら、今のうちしかないと考えた僕は、 ソニアの腕を引っ張ってモスクの中に戻った。 そしてまだ寝ていたメルヴィナやサニャを起こして、 「ここは危ないから街の外に逃げよう」と言ったんだ。 メルヴィナもサニャも、起こしたばかりだから、 少し寝ぼけて反応が薄かったけれど、外の音が聞こえたみたいで、 何が起きているの気づいたらしく「うん」と答えてくれた。 だけど、遅かったんだよ。 余っていた食べ物とかを集めていたら、 もうモスクの直ぐ近くにセルビアのスルプスカ警察が来てしまったらしく、 大人達が騒ぎ出したんだ。 大人達がセルビアだ警察だって叫んで、早く逃げなきゃって思ったんだ。 ソニアは警察だから大丈夫だよって笑っていたけれど、 その警察がボスニアやクロアチアの市民を 連行したり暴行したり、殺したり、レイプしたりしてるんだよ。 もうこの街に正義の味方、 少なくともボスニアを助けてくれる味方はいなかったんだ。 そんな感じでモタモタしている内に、モスクの周りのは更に騒がしくなっていた。 外に居た大人たちは、慌てながらモスクの中へ逃げ込んできたり、 他の場所に逃げようとしたみたいだった。 だけど、他の場所へ逃げようとした人に向けて、警察は銃を発砲した、 乾いた銃声が周りから聞こえて、外の悲鳴は少しずつ聞こえなくなった。 その状況を見ている内に、もうモスクは警察に囲まれていたんだ。 モスクから逃げようにも、幼い僕達が走って警察から逃げ切れるはずもない。 最悪、カミユのように僕がお取りになって、 サニャやメルヴィナ、ソニアの三人だけでも逃がそうと思った。 もう九人の中で、男は僕しか居ない。 僕しか三人を守れる人間はいないって思ったんだ。 でも、現実はそんな英雄的な行動を簡単に取れるものじゃなかった。 少し間をあけて警察たちが銃を手にしながらモスクの中に入ってきた。 多くの人は、隅っこに下がったり、布を被ったり、伏せたりした。 だけど、そんな事をしても意味なんてないんだよね。 彼らは僕達の様子を見に来たわけじゃないのだから。 警察官達は、大人の男だけじゃなく、 隅っこで震えている子供や女性、お年寄りの顔を一人ひとり確認していった。 僕達の所にも近づいてきて、 僕はさっきまであんなに囮になろうと考えていたのに、 怖くて足も動かないし、声も出ないんだ。 本当に動かないんだ。 動かそうと思っても、心が折れてしまっていたんだ。 警察の人の顔は、暗くてよく見えなかったけれど、 その時はとても怖い顔をしていたように見えた。 一通り、性別や年齢とかを確認し終えると、 警察官は大人の男性や女性を無理やり引っ張って連れて行ってしまったんだ。 当然、男の人は暴れたけれど、外に引きずり出された後に 銃声が聞こえて、その人の声はもう聞こえなくなっていた。 変な話だけど、この時ぐらいからだと思う。 人が殺されても、あまり感情とかが湧き上がらなくなってきていた。 ああ、またかといった感覚に。 警察が去った後は、皆ぼーっとしながら、夜が明けるまで座っていたと思う。 赤ちゃんは泣いたりしていたけど、 それをあやす母親はとても憔悴しきった顔をしていた。 もしかしたら夫があの時連れて行かれたのかもしれない。 だけど、そんな事を聞けるような状況でもないし、 正直に言えば、僕にはソニア達三人以外の事を考える余裕なんて無いんだ。 それから数日経ったけれど、 時々街中で銃声や悲鳴が聞こえるぐらいで、 初日ほど騒々しい状況になることはなかった。 スルプスカやセルビアに忠誠を誓う証? 印として、生き残ったボスニアの人々は家の前や、 屋根に白い布とかを掲げて、 自分もセルビアの一員だという合図をしていた。 後で、これが警察から指示されたものだと知った。 この白い布や旗っていうのは、 今考えてみれば、自分がボスニアです、と公言しているわけで、 この家にはボスニアがいるぞ!って事なんだ。 かといって、白い布を掲げなければ、見つかって拷問されたりする。 掲げても嫌がらせを受け、時には見せしめとして殺害されレイプされる。 もう自分が標的にならないように、祈ることしか出来なかったと思う。 希望なんて正直消え失せていた。 この街から逃げたくても逃げ出せない。 街の所々にボスニア人収容所とかが作られたりしてさ、 男の人は暴行、処刑されて、女性は数人がかりでレイプされていたらしい。 この時は、そんな事になっているとは知らなかったけどさ。 何もする気力が起きないし、する事が無い。 何日もぼーっとしてたんだ。 そしたら、モスクに元々いた年配の人が「君はムスリムなのか?」 って聞いてきたんだ。違うって答えた。 そしたら「何で我々と一緒に行動するんだ」って言うんだ。 何でって、そんなの僕が知りたかった。 だけど、友達を守らなきゃいけないからって答えたんだ。 そしたら、君は異教徒で異民族かもしれない。 だからこそ、 生きて目にしたものを伝えなさいって言って、 藁半紙みたいなノートを数冊くれて、鉛筆も何本かくれたんだ。 今こうして書いている内容の元は、 この時にもらったノートに書いてある日記というか、 起きたことを書いた文なんだ。 元々、カリノヴィクに居た頃から絵日記みたいのはあった、 あの時は急だったから持って居なかったし、 取りに行ける状況じゃなかった。 だから、このカリノヴィクから逃げる時期やフォーチャでの出来事、 これから先の出来事は多少細かく書けるんだけど、 その前の出来事は、時々思い出みたいのが書いてあるぐらいだから、 今じゃ、その時の記憶が思い出せなくなってきているんだ。 現在では、それがとても怖い。 僕が読んで貰ってる、 この記録を誰か人々伝えたいというのは、 この人との約束も、約束の一つではあるんだけれど、 こうして体験を書き込まなきゃいけないっていうのは、 この人との約束ではないんだ。 後で書くけど、 この後、ボスニア民兵と一緒に行動する事になるんだけれど、 その人との約束なんだ。 そして、その後に僕が死なずに今まで無様に生きてきたのは、 ボスニア民兵と離れた後に行動を共にしたセルビア民兵のお陰なんだ。 ・・・日にちは経って、 四月二十二日になった。 この日も、ここ数日の様に過ぎていくと思っていた。 だけど、違った。 スルプスカ軍か、民兵か、警察かはわからないけれど、 フォーチャにある歴史あるモスクが次々に破壊され爆破されたんだ。 僕達が気づいた時には、街中から轟音が聞こえて来ていた。 また始まったと思ったけれど、この日はいつもと違ったんだ。 この日の標的は、 僕達とは関係ないボスニア人だけではなくモスクに居る僕達だったんだ。 急いで荷物をまとめて、モスクから逃げようとした。 大半の人は逃げていたけれど、 サニャが忘れ物をしたといって、モスクに走って戻ったんだ。 僕は駄目だよ。 危ないよ。 って何度も叫びながら止めようとしたんだよ。 でも、サニャはカミユの荷物があるから取りに行くって言って、 止まってくれないんだよ。 必死に追いつこうとしたけど、この時のサニャの足は速くて追いつけなくてさ、 モスクのすぐ隣に生えている木の所で、やっとサニャの手を掴んだんだ。 そして、危ないから僕がとりに行くって言った瞬間だったと思う。 耳が潰れる程の轟音と同時に目の前が真っ暗になって、 気づいたら十メートルくらい吹き飛ばされてた。 一瞬、何が起きたのかわからなくて、 耳もキーンとしか聞こえないし、目もよく見えない。 体中にも激痛が走ってた。 だけど、感覚はあるし、どうやら自分が無事だって事は解った。 それでハッとして。 サニャは何処って。 でも、自分の手はサニャの手を握ってるんだ。 だから、無事で良かったって思ったんだ。 だけど、違ったんだよ。 耳とか目の視力が回復して、よく見たら、サニャの手しかないんだよ。 僕は丁度木の陰に隠れて、打撲で済んだけれど、 サニャは木の陰に隠れてなかったんだ。 僕よく解らなくなっていてね。 サニャ何処に隠れたんだろってサニャの事必死に探したんだよ。 でも、周りにサニャ居なくてさ。 あ、モスクの中に隠れたかもって思ってさ、 崩れ落ちたモスクに行こうとしたんだ。 モスクの中に運よく隠れたんだって思ってた。 そしたら、メルヴィナが僕のところに駆けて来てた。 危ないから早く離れるの!って言うんだ。 でも、まだサニャがモスクにいるから、いるから!って僕は何度も言った。 サニャに手を返さないと、手を着けないと、だから早くしないとって。 僕は泣きながら、 サニャ!早く出てこないと、手返さないよ!って叫んだ。 そしたら、メルヴィナにビンタされてた。 かなり痛かった。 「サニャはもう駄目なの!祐希まで死んじゃったら私たちどうしたらいいの!」 みたいな事を泣きながら言うんだ。 もう駄目だって、そんなのわかってるんだよね。 わかってるんだ。 木の陰がとか、そういうのはその時は気づいてなくてもさ、 手首から少し先が、もぎ取られた、みたいになってるのを見れば、 そんなのわかるんだよ。 でも、現実を認められないんだよ。 僕はカリノヴィクでカミユにサニャを守ってねって、 約束してるんだよ。 その後、カミユの代わりに僕がサニャを守るって誓ってるんだよ。 情けないけど、僕それから数日の記憶なくて、 気づいたらフォーチャから離れていて、 ソニアやメルヴィナ、 そして何人かの大人、赤ちゃんと子供数名と山の中にいた。 僕さ、サニャよりも足はずっと速いんだ。 怪我でもしてない限り、サニャに追いつかないはずないんだ。 あの時、僕が追いつけなかったのは、多分、僕がビビッてたからなんだ。 僕は守るとか調子良い事言ってたにも関わらず、 またビビッて、何も出来ずに今度はサニャを見殺しにした。 それに気づいてさ、悔しくて、悲しくて、憎くて涙が止まらなかったんだ。

■第三章 【山の中】

それから二ヶ月間は山の中で生活していた。 フォーチャには戻れないから離れた山中で静かにしていたんだ。 幸運な事に、一緒に脱出した人の中に、ミジュヴィナからついてきてくれた。 青年の一人が居て、 薬とかを時々歩いて5時間くらいかけた所の集落に、 取りに行ってくれていたんだ。 ただ、食料は毎回のように貰いに行くわけにはいかなかった。 なぜなら、それで僕達の存在がセルビアの人々に、 知られてしまう可能性があったんだ。 だから、この山中での生活は食べ物が少なくて辛かった。 食べられそうなものは何でも食べたんだ。 葉っぱも食べたし、変な虫も食べた。 動物も居たけれど、捕まえられたのは数回だった。 大人の人も動物を捕まえるほどの体力がなかった。 それに、動物を捕まえたとしても火は起こせなかった。 夜といっても、月だとか星の光で煙が見えちゃうらしい。 だから、動物の肉があっても生のまま、分け合って食べた。 水も、何時間も歩いた場所にある池から取ってきて、 濁ったまま飲んでいたんだ。 それでも水が足りなくてさ、 ずっと空腹と喉の渇きに飢えていた。 それに耐えられなくなった僕達より少し上の子が、 木の窪みみたいな所に溜まった水を飲んでしまって、 お腹を壊して、何日か経った後に死んでしまった。 男の人が、何日か毎に離れた農地へ作物を盗りにいって、 野菜とかを手に入れてくるんだ。 だけど、その食べ物は幼児や赤ちゃんに オッパイをあげるお母さんに食べさせて、 僕達を含めた他の人は、食べられそうなものを食べて我慢した。 葉っぱはさ、たまに毒があるものがあって、 最初のうちは見分けられなくて舌が麻痺したり、 唇が腫れたりした。 だから、食べる時はまず唇に10分くらいつけて、 それで大丈夫だったら口の中に入れて、 そこからまた10分ぐらい口の中に入れたまま、咬まずにしておくんだ。 それでさ、舌に痺れだとか痛みがなければ、よく噛んで飲み込んでた。 美味しくはなかったけど、食べずにはいられないんだ。 その点、虫は栄養もあるっぽくて、最初は気持ち悪かったけど、 途中から抵抗なく食べられるようになった。 特にイモムシみたいなのとか、何かの幼虫は美味しかった。 大きめのクモも、肉に歯ごたえがあって、味は鶏みたいな感じだった。 とはいっても、 この時はずっと空腹で味覚も狂っていたと思う、 実際はそんなに美味しいものでは無いと思うんだけど。 色々と慣れてくるものだけど、一つだけ慣れないものがあったんだ。 それは夜の山なんだ。 時折、別の山とかに移動して転々としていたけれど、 どの山も怖かった。 別に幽霊だとか、動物が怖いわけじゃないんだ。 もしかしたら、セルビアの警察や民兵、軍がくるかもしれない。 もしかしたら、この場所が知られているかもしれない。 そんな恐怖が子供や大人全員にあって、 夜は必ず大人二人と子供一人が起きて、見張りをしていた。 それでも、物音がしたり、風で木が揺れる度に、皆が目を覚まして、 息を潜めてさ、場所を移動したって、その恐怖は消えなかった。 それと書くのを躊躇するんだけど、やっぱり書く。 この山中の生活で、子供一人と年配の人が一人亡くなったんだ、 僕達はその人の遺体を食べたんだ。 とても気持ちが悪くて、最初は吐いたんだ。 吐いたけれど、食べないと死ぬぞって言われて、 皆泣きながら食べた。 僕たちは、この時に別の肉もソニアやメルヴィナと食べたんだ。 そんな多い量じゃない。 フォーチャから脱出した時、僕はずっとサニャの手を持ってたらしくて、 目を覚ました時にサニャの手がバックに入っていたんだよ。 捨てるに捨てられなくてさ、腐ってきていたけど、ずっと手元に置いていたんだ。 それで、今書いた人の肉を食べた後、 お腹が空いたって泣いて言うソニアを見て、 じゃあ、サニャの手を食べようって言ったんだ。 もう、サニャの手は腐ってて、臭いもきつかった。 それでも、栄養があるものを食べなきゃって言い聞かせて、 ソニアとメルヴィナの三人で、こっそり食べたんだ。 口の中に入れた瞬間、変な臭いと味が広がって、思わず吐きそうになった、 でも、サニャの分まで生きようって三人で言い合って、食べた。 この時が、空腹とかの絶頂だったように思う。 友達を食べるって、やっぱ違うんだ。 一緒に行動していた人も、大切な仲間だけど、やっぱりその人のとは違うんだ。 味とか臭いだけじゃなく、言葉に言い表せない気持ち悪さと、 悲しさと、色んな状態で、涙が出そうになるんだ。 声を出して泣きたい位の涙が出そうになるんだ・・・ でも、出ないんだ。 水が殆どなかったからかもしれないけれど、 サニャの手を食べた時は、ソニアもメルヴィナも泣かなかった。 この時ぐらいからだったと思う。 僕も含めて、ソニアやメルヴィナも感情を表に現さないようになっていった。 そんな生活をして二ヶ月経った頃、 皆の体力もかなり落ちていて、 このまま生活していても先がないという話になった。 それで、本来の目的地だったゴラジュデに向かうことになった。 日記は付けていたけど、 フォーチャから脱出して数日は記憶が殆どなかったせいで、 正確な事は解らない。 恐らく六月に入って数日程度経った頃だった。 ゴラジュデへの道のりは、大体三日間程だった。 それでも、体力が落ちていた僕達には、過酷で辛かった。 途中、農地の場所とかはあったと思う。 結構、山道とは言っても人が近くに居たりする場所で、 隠れて生活するには向いていない感じだった。 ゴラジュデに向かいだして二日目の昼頃。 道路とか人の生活圏を完全に避けて通過するのは厳しかった。 本来であれば、夜にそういった場所を通過した方が安全なのだけれど、 僕達は体力的に余裕が無くなっていた。 この時は、丁度山道を横切る時だった。 道の二百メートルぐらい手前で、 道に銃を持った人が居るのが見えたんだ。 警察か民兵か、それとも軍の兵士なのかは見分けがつかなかった。 だけど、そこを通らないと山が越えられなかったんだ。 僕達、というか大人達は選択に迫られた。 このまま気づかれないように進むしかない。 だけど、それには大きな障害があった。 それは、赤ちゃんだったんだ。 赤ちゃんはさ、泣くのが仕事っていう位、よく泣く。 このときは、元気無くて、そんな泣くほどでもなかったんだ。 それでも、もし万が一泣いてしまったら、僕達は捕まってしまう。 全員の安全の為に、赤ちゃんを連れて行くことは出来なかったんだ。 でも、さっきも書いたように、 僕ぐらいの子供も、大人達も、赤ちゃんや幼児の為に、 どんなにお腹が空いていても、我慢して、耐えて、 その子たちに優先的に食べ物を回していたんだよ。 そんな簡単に、皆の為にといって、 赤ちゃんを連れて行かないなんて、決断は出来なかったんだ。 少しの間、沈黙が流れた。 言いたい事は解ってる。 だけど、誰も言い出せない状況が続いた。 ここまで一緒に生き抜いてきたんだ。 こんな小さい赤ちゃんでも、皆にとっては大切な仲間で、 気持ちは家族同然のようなものだ。 赤ちゃんの母親は皆が言いたいことは十分わかっていたんだと思う。 そして、皆がそれを言い出せないという事も理解していたんだと思う。 誰も言い出さない中、 笑いながら、皆が言いたいことはわかるって。 自分もこの子も、 自分たちの為に皆が危険な目に合うのは望まないって言ってさ。 自分が母親だから、きちんと責任を持つって言ったんだ。 だから、皆は先に進んでください。 この子とお別れをしたら、私も後から追からって・・・ 何とも言えない空気の中で、そう言った母親は、さっき来た道を戻って行ったんだ。 大人たちは、母親の姿が見えなくなった後に、「すまない」って一言いって、 武装したセルビアの近くを通過していくことにしたんだ。 セルビア達が居る場所を過ぎて、 少し数百メートル歩いたところで、僕達は数時間待ってたんだ。 母親が後から来るっていってたからさ。 でも、結局母親は来なかった。 今思えばだけど、後から追うっていうのは、 赤ちゃんの後を追うって意味だったんだろう。 次の日になると、先頭を進む人と、後方の人の距離がかなり広がっていた。 もう休んでいる時間も体力もない。 もし休んだら、そのまま動けなくなってしまうような状態だったんだ。 だから、この時になると、暗黙の了解じゃないけど、 体力のない人はどんどん遅れていくようになった。 幼児とかは、まだ小さいから、体力のある大人が背負えるんだ。 だけど、僕達ぐらいになると、体重が多少あるから、背負えないんだよ。 そして最後尾に居たのは、僕とソニア、メルヴィナだったんだ。 ソニアは体力的にも、精神的にも参っててさ、 僕とメルヴィナが引っ張りながら歩いていたんだけど、 子供だから、ただでさえ歩くのが遅いんだ。 引っ張りながらだと、さらに遅くなって、全然追いつけないんだ。 気づいたら、僕達は皆とはぐれてた。 遠くの方からは、爆発音とかが聞こえてきて、 どこかでまた惨状が繰り広げられている、といった考えが過った。 もしかしたら、大人が心配して引き返してきてくれるかもって思った。 だから、僕はメルヴィナにここで大人達を待とう、って言ったんだ。 だけど、メルヴィナは駄目って言うんだ。 「戻ってこないよ。自分達で進まなきゃ」って言うんだ。 僕達は三人だけで、道もわからないのに、進んだんだ。 メルヴィナがさ、もしかしたら、 味方が来てセルビア兵士をやっつけてるかもって言うんだ。 確かに、そうかもって。 何かにすがりつかないと前に進めなかった。 だから、僕達は、音がする方に味方がいるって希望を持って、 そっちに向かったんだ。 でも、それが間違いだった。 山の間に、少し開けたところがあって、僕達はそこに出た。 あんなに体力が落ちてなければ、疲れていなければ、 もっと冷静に考えられたのかもしれない。 だけど、この時の僕達は、子供でそこまで思考能力もなかったし、 そして疲れ果てていて、頭が回らなかったんだ。 開けた場所の半分くらいまで歩いた時だった。 横の道から、振動と共に何かが近づいてくる音がしたんだ。 もうさ、前の方からは爆発音とかがしてて、 そんなの聞こえないはずなのに、聞き間違いだって思いたかったんだ。 だけど、爆発音の合間に、何かが向かってくる音がするんだ。 味方かもしれない。 でもセルビアだったらどうしよう。 色々不安と期待があった。 僕は怖くて、迷って、そしてその場で止まってたんだ。 そしたら、メルヴィナがとりあえず逃げなきゃって言ってさ、 僕はソニアの手をつかみながら全力で前の森というか、 山に向かって走ったんだ。 それで、何とか木のところまで来て、良かった。 何とか隠れられたって。そう思ったんだ。 それで後ろを振り返ったら、メルヴィナがいないんだよ。 何でって思ったら、メルヴィナがさ、メルヴィナがこんな時にだよ。 こんな時に限ってさ、転んじゃってるんだよ。 もう近づいてくる音も大きくなっていて、振動もしてきていたんだ。 メルヴィナ早く立ってこっちに来いって叫んだんだ。 だけど、メルヴィナは立たないんだ。 いや、立てないんだよ。 三日間も殆ど寝ないで飲まず食わずで歩いてきたんだ。 体力的にも精神的にも、限界なんてとっくに通り越してたんだよ。 僕は助けに行かなきゃって、もう見つかってもいい。 ここで僕が囮になれば、 もしかしたら二人は助かるかもしれないって。 それで飛び出してメルヴィナの所に走って駆け寄ったんだ。 でも、メルヴィナを起こそうとしても、メルヴィナは足に力が入らない、 立てないって言うんだ。 だけど、こんな所で見捨てるなんて出来るわけ無いじゃないか。 ここまで一緒に生き抜いて、もう三人だけになってしまったのに、 見捨てるなんて出来るわけ無い。 だから、メルヴィナを背負ったんだ。 だけどさ、情けないよ。全然前に進めないんだ。 この時、僕は十歳で、男女の差といっても、体格的にも、 肉体的にもまだそこまで差がなかったんだ。 普段だったら、それでも何とか歩けたはずなんだ。 でも、この時の僕にはそんな力なんて残っていなかったんだよ。 頼むから前に進んでくれ!って頭の中で思っても、 全然前に進めないし、足のふんばりも効かないんだ。 もう、向かってくる音はかなり鮮明になっていて、 金属音も混じっていたんだ。 僕とメルヴィナの姿が相手に見られるのも、時間の問題だった。 僕はメルヴィナに大丈夫だから、僕が何とかするからって言ったんだ。 だけど、メルヴィナがさ。 泣きながら「もういいから、ソニアの所に行って隠れて」って言うんだ。 そんな事出来るわけないじゃないかって怒ったんだ。 だけど、メルヴィナはこのままじゃ見つかるって。 今ならまだ間に合うって。 今隠れれば、ソニアと僕は助かるって言うんだよ。 僕は嫌だ嫌だって言って、背負ったまま前に進もうとしたんだ。 そしたら、メルヴィナが暴れてさ、地面に落ちてしまったんだ。 すぐにまた背負おうとしたんだけど、メルヴィナがあばれて、 背負えないんだよ。 何するんだって言ったらさ、お願いだから隠れて!って。 僕とメルヴィナが見つかったら、 ソニアはどうなるって、このままじゃ全員捕まっちゃうって叫ぶんだ。 だから二人だけでも逃げてって泣きながら叫ぶんだ。 僕は弱虫なんだよ。 僕はメルヴィナの所に留まっておくべきだったんだ。 それなのに、体が勝手にソニアの所に向かってるんだよ。 何やってるんだよやめろって自分にいっても、体が勝手に逃げちゃうんだよ。 ソニアの所へ戻った直前か、直後かわからない。 隠れて振り返ったら、戦車が向かってきていた。 メルヴィナは僕が隠れたのを確認したら、 横になりながら体を動かして僕達の方向に背を向けた。 頼むから味方でいてくれって、 敵だとしたら、気づかないでそのまま通り過ぎてくれって祈った。 だけど、現実は全然幸運なんてないんだよ。 思ったとおりにならないし、神様なんていなかったんだ。 戦車はメルヴィナの横で止まって、 上からセルビアの軍服を着た兵士が出てきたんだ。 ごめん。 あんまり細かく書きたくない。ごめん。 降りてきた兵士は、メルヴィナの事を蹴ったんだ。 メルヴィナは濁った叫び声を一瞬だした。 生きているって確認した兵士は、笑いながら何かを言った。 そしたらもう一人、兵士が出てきて、暴れるメルヴィナを叩いて、 服を脱がせて乱暴したんだ。 たった十歳の少女に乱暴したんだよ。 メルヴィナは泣き叫んでもおかしくないのに、 自分の口を手で押さえて、叫ばないようにしてるんだよ。 僕らに助けを求めないように、 僕らが見つからないようにしてるんだよ 自分が酷い目にあってるのに、 怖くて痛くて辛いはずなのに、 メルヴィナは自分よりも僕達を心配して、 自分の口を押さえてるんだよ。 僕とソニアを助ける為に必死に耐えてたんだ すぐにでも飛び出さなきゃいけない。 助けなきゃいけない。 でも、それをしたらメルヴィナの行動は全て無駄になってしまう。 僕には決断できなかった。 何でこんな選択をしなきゃいけないんだって、 山中の生活を通して、感情をあまり出せなくなっていた。 ソニアや僕は泣きながら見ていることしか出来なかった。 これが戦争なんだって。 これが人間なんだって。 これが神様の作った世界なんだって。 神様なんて、残酷な悪魔だと思った。 僕は本当に無力で、何も出来ない弱虫で、 本当は僕があそこで殺されているべきなのに、 僕はメルヴィナに代わって死ぬほどの勇気を持っていなかったんだ。 持っていたとしても、それは本当の勇気だとか決意じゃなかったんだ。 日本に居る頃は、自分は何でも出来る、 やろうと思えば何でも出来る人間だと思っていた。 だけど、実際の僕はあまりに無力で何も出来ない弱虫だったんだ。 ソニアはずっとごめんなさいと繰り返し言っていた。 僕は、メルヴィナが乱暴されて、 連れ去られるのを見ている事しか出来なかった。 この時だったよ。 今まで憎しみだとか、悲しみだった心が、 自分には抑えられないぐらいの怒りと殺意みたいなのに変わっていた。 絶対にあいつ等を殺す。殺したいって。 それから数時間くらい、僕とソニアはそこから動けないでいた。 だけど、ここにずっと居たって何も変わらない。 僕とソニアは手を繋ぎながら、轟音の止まない方向へ向かった。 世界は不幸なことばかりじゃなくて、幸せもあるかもしれない。 だけど、不幸、幸せ、不幸みたいに、交互に来るとは限らないんだ。 僕達は、ずっと目指していたゴラジュデに、 沢山の大切な犠牲を払って辿り着いたと思った。 だけど、街には入れないんだ。 近づくことも出来ないんだ。 もう、街はスルプスカの軍に包囲されて、攻撃を受けていた。 山の中にもスルプスカの兵士が大勢居て全ての希望を打ち砕かれた。 声も出なかった。 ここに留まることも、街へ入ることもできない。 僕とソニアは、世界で二人だけ取り残された気分になってさ、 でも諦めたら駄目だって。 自分に言い聞かせて、ゴラジュデから離れて延々と山の中を歩き続けた。 何日歩き続けたかわからない。 今思えば、約二ヶ月くらい山中で生活した経験がなかったら、 僕とソニアはここで死んでいたと思う。 包囲された街に残された人々も、包囲が解けるのを待ち続けて、 生き抜くしかなった。街から出れないから。 陸路で街に入る事も、出ることも出来ないんだ。 援軍も見込めない中、いつ包囲が解けるのか、 それとも死ぬのか、解らないままで、そこで生き抜くしかなかった。

■第四章 【ボスニアと共に】

歩き続けて何日目かわからないけど、 小さな川というか湧き水みたいなところがあって、 そこで休んでいたら、銃をもった人が駆け寄ってきたんだ。 スルプスカの兵士かと思ったけれど、 そうじゃなくてさ、ボスニアの民兵の人たちだった。 それから93年の10月くらいまで、 一年半くらいボスニアの民兵の人と行動を共にしたんだ。 僕はさ、彼らと過ごして1ヶ月ほど経った頃に、僕も戦わせてと頼んだんだ。 何でもするって。 死んでもいいって。 だから僕も戦わせてって頼んだんだ。 勇気を出すって。 勇気を出して戦う。 もう逃げないって。だからお願いって。 でも、彼らはそれを許してくれなかった。 中学生くらいの子供にも銃を持たせているのに、 何で僕は駄目なのかってしつこく聞いたんだ。 スルプスカの兵士が許せないって。 そしたら、名前は書けないけど、民兵の一人が僕に言うんだ・・・ 戦いに勇気なんて必要ない。 生きる事にこそ勇気が必要なんだ。 君は戦う以外にも出来る事があるだろう。 君だから出来る事があるだろう。 僕達は戦争が終わるまで生きていられないだろう。 君は、ここで何が起きたかを伝えなさい。 同じ事が起きないように・・・ 辛くても生き抜いて、そして胸を張って、 友人に天国で会えるようにしなさいって。 彼らと過ごした間、僕は色んなものを目にした。 僕の中で、この時セルビアの人々や軍、警察、 民兵は絶対的な悪のような存在になっていたんだ。 そして、ボスニアは被害者だと・・・ だけど、違ったんだよ。 ボスニアの民兵の人たちはさ、 セルビアの集落を襲って、食料を奪ったり、 セルビアの大人や子供を殺害したり、女性をレイプしたりしていたんだ。 僕はわからなくなっちゃったんだ。 何が正しくて、何が間違っているのかとか。 何が悪で、何が正義なのか。 あんなに被害を受けて、その苦しみを知っているはずの 人たちが、同じ事を、相手の民族に、人々にするんだ。 僕は、何でそんなことをするの?やめようよって何度も言った。 それはやっちゃいけないことだよって。 そういうと、決まって民兵の人は悲しそうな顔をしてさ、 そんなのはわかっているんだって。 でもこうしないと、自分達の仲間が同じ目に合うって。 矛盾に気づいているのに、それをしなければいけない状況だったんだ。 ボスニアもセルビアも。 僕はこの時、まだ彼らの紛争の歴史も何も知らなかった。 前にも書いたと思うけれど、 セルビアの人々も同じように、歴史上で何度もこういった虐殺の被害に合ってる。 どちらも被害を受ける苦しみや怒り、恨みをしっているのに、 それでも尚、お互いにそうしなければ、やられる状況になっていたんだ。 恨みや禍根は残されたまま、次の世代へと引き継がれて、 また同じ悲劇を繰り返している。 それがこの時の紛争だったんだ。 前に、国は3つの勢力に別れたって書いたよね。 ボスニア、クロアチア、セルビアの三勢力に。 ボスニアとクロアチアは最初は味方同士のような感じだったけれど、 連携は取れていなくてさ、国内ヘルツェグ=ボスナでは クロアチアの軍や人々によって、 ボスニアやセルビアの人々が虐殺された。 一つの民族が、一方的に虐殺するのではなく、 お互いに民族浄化の応報を繰り広げていたんだ。 レイプは単に性的欲求を満たす為の行為じゃないんだ。 敵対する、憎む民族の女性をレイプする、 それは自分達の民族が、敵対する民族に勝利する、 やっつけるといった優越感を示す行為でもあったんだ。 だから、女性は標的になったんだ。 九月に入ると、 クロアチアとセルビアの二つの勢力が同盟を結んで、 ボスニアは二つの民族から挟まれる状況になった。 その理由は、クロアチアの人々も、自分たちによる、自分達の国が、 このボスニア・ヘルツェゴビナの領内で欲しかったんだ。 そして、最初は共に戦ってもヘルツェグ=ボスナ内で セルビアの人々が一掃されて、領地の争いが減ったんだ。 クロアチアからすれば、次はボスニアだったんだ。 十月の中旬ぐらいだった。 ボスニアの勢力は、セルビアとクロアチアの二つの勢力に挟まれ、 絶望的な状況になっていた。 そういった経緯は、日本に帰ってきてから知ることになったけど、 この時、自分達が追い詰められているという事を認識していた。 僕とソニアが一緒に過ごしていた民兵達の部隊も、 人数がどんどん減っていって、人手が不足していた。 この日も、殆どの人が離れた街に行ってしまって、 拠点としていた洞窟には十数人しか残っていなかったんだ。 もう秋になって、辺りが暗くなる時間も早くなってきていた。 拠点に残っている大人はさ、殆どが負傷した人だったんだ。 だから、僕は暗くなる前にさ、水を汲んでくる必要があった。 この時、ソニアも一緒に連れて行けば良かったんだ。 だけど、誰かが負傷した人を見てなきゃいけなくて、 僕が水を汲んできて、 その間はソニアが負傷した人を看ているって、するしかなかった。 水を汲む場所までは、子供の足で往復4時間くらいかかる。 水を汲んで洞窟の近くまで来た時には、もう辺りは暗くなっていた。 ソニアはちゃんと看てるのかなって心配しながら、 水汲んできたよって洞窟の中に入ったんだ。 だけどさ、 洞窟の中に明かりが点いてないんだ。 もう外は暗くて、洞窟の中も真っ暗なのに、 明かりが点いてないんだよ。 最初はおかしいなって思ったんだ。 だけど、ソニア疲れて寝ちゃったのかって。 ちゃんと看病しなきゃ駄目じゃないかって。 ソニアちゃんと看ててって言ったでしょって言いながら、スイッチを押したんだ。 だけど、明かりが点かないんだ。 何回押しても点かないんだ。 僕さ、民兵の人たちと過ごしている間、 前のように本当に危険な目に合う事が殆どなかったんだ。 ソニアを守るって、だからどんな時でも僕はソニアから離れちゃ駄目だし、 どんな時でも警戒して、気をつけてなきゃいけないんだ。 でも、馬鹿な僕はその大切なことも忘れて平和ボケして、それを怠ったんだ。 信じたくなかった。 ただ電球が切れただけだと思いたかった。 確かめるのが怖かった。 誤解であってくれって、神様どうか誤解であってくださいって、 祈ったんだ。 だけど、洞窟の奥に進んでいくに連れて、真っ暗で何も見えなくても、 嗅いだ覚えのある臭いがするんだ。 錯覚だって。 これは錯覚だって。 気のせいだって。 でも、うめき声とかも微かに聞こえてきて、何かが焼ける臭いもしてきてさ、 気づいたら両手に抱えていた水の入れ物を落としていた。 ソニアの名前を何度も呼んだんだ。 ソニア!ソニア!どこにいるのって。 隠れないで出てきてよって。 だけどソニア全然出てこないし返事しないんだ。 酷い話だけどさ、 横で兵士の人がうぅって苦しそうに声を出していたんだ。 だけど、僕はそれどころじゃなかったんだ。 必死に地面に這いつくばって、ソニアが居ないか手探りで探したんだ。 何人か、冷たくなった大人の死体とかに触れたけど、 それに驚いたり気遣ってたりする余裕なんてなかったんだ。 どれくらい探してたのかわからない。 もう時間の感覚とかもよくわからなくなっていた。 気づいたら、洞窟の奥まで来ててさ。 壁に手を付きながら探していたら、小さな体に触れたんだ。 すぐにわかった。 夜になると、いつも一緒にくっ付きながら寝てたんだ。 すぐにソニアだってわかった。 頭が真っ白になって両手でソニアに触れたんだ。 でも、ソニアの体は温かかったんだ。 息もしていて、ソニアは生きていたんだ。 良かった。 何が起きたかわからないけど、ソニアは生きてる。 良かったって。 ソニア大丈夫?って声をかけたら、小さい声でうん。って言ったんだ。 離れてごめんねって。ソニアを置いて水汲みにいってごめんって。 言いながら、ソニアを抱き寄せたんだ。 そしたら、手に生暖かい液体がついてさ、 最初は何かわからなかった。 でも臭いを嗅いだら、血ってすぐにわかったんだ。 慌ててソニア怪我してるの?ソニア大丈夫なの!?って聞いたんだ。 ソニアはまた小さな声で、うん。って言ったんだ。 僕は急いで傷の手当しなくちゃって思って、 洞窟の中は暗くてよく見えないから、ソニアを背負って外に出ることにしたんだ。 ソニアの体がいつもより軽く感じて、 そしてソニアの体から垂れる血のピチャピチャって音が、 洞窟の中で響いていたんだ。 不安になった。 だけど、ソニアは返事をしているし、ちょっとした怪我なんだって、 ちょっとした怪我だって、 悪いことを考えないように必死に自分に言い聞かせたんだ。 洞窟の外に出た時は、もう外も真っ暗で、月が綺麗に輝いていたんだ。 僕はソニアを草の上に下ろしたんだ。最初は見間違いかと思った。 だけど、何回目をこすってもさ、ソニアのお腹から血が一杯出てるんだ。 頭の中で理解できないような色んな感情とかが渦巻いてきたんだ。 だけど、 血を止めなきゃって。 僕は上着を全部脱いで、ソニアの上着を捲って血を止めようとしたんだ。 そしたら、ソニアのお腹に大きな穴が何個も空いてて、 そこから沢山の血が流れてたんだ。 僕は分厚いコート着てて血が出てるのに気づかなくて。 シャツでソニアのお腹を抑えたんだけど、 全然血が止まらなくて、どうしようどうしよう、誰か来て!って。 泣きながらソニア大丈夫だよ大丈夫だよって何度も叫んだんだ。 でも血が止まらないんだ。 そしたら、ソニアが血を口から垂らしながら、 うん。だいじょうぶ。って言ってさ。 喋っちゃ駄目って言ってるのに、小さな声で喋り続けるんだよ。 月が綺麗だねって。どうして祐希泣いてるのって。 ソニアを心配させちゃ駄目だって思って、泣いてないよ。 だから喋らないでって言ったんだ。 だけどソニアはそれでも話すのをやめなくて、声を出すたびに血が溢れてくるんだ。 混乱してて、慌てて、怖くて、正確には覚えてないんだ。 だけど、ソニアは昔の話をしだしてさ。 特別な日覚えてる?って。 僕すぐには思い出せなくて、何?って言ったんだ。 そしたら、 祐希にお友達になってくれたお礼をした日って言うんだ。 僕は覚えてるよ。忘れるわけないじゃんって泣きながら答えたんだ。 そしたら、ソニアはちょっと笑いながら良かったって言って、 あの時も綺麗な月だったねって。 僕はうまく言葉が出せなくて、うん、うん、って相槌しか打てなかった。 それでもソニアは喋り続けて、 ずっと一緒にいれなくてごめんねって言うんだ。 ソニアはわかっていたんだ。 自分が大怪我して、もう助からないってわかってたんだ。 もう僕は何て言葉を返したらいいかわからなかった ソニアは、もうお腹押さえなくていいって、 その代わり手を握ってって言うんだ。 もうソニアは手に力が入らないみたいで、僕の手を握り返せないんだ。 手を握ってさ、目の前にいるのに、ソニアが言うんだ。 祐希、ちゃんと手にぎってる?そこにいる?って。 僕はちゃんと握ってるよ。隣にいるよって答えたんだ。 そしたら「そっか、良かった」って言ってさ、 「ごめんね、ありがとう」って小さな声で言った後、 何も喋らなくなったんだ。 息はまだしてたんだ。 もし医者がいれば、 医者じゃなくても大人が居ればソニアは助かるかもしれないんだ。 でも、僕は何も出来ないんだよ。 大切な子が皆死んじゃったりして、もうソニアしかいないのに。 たった一人の大切な人なのに何も出来ないんだよ。 ソニアの息が少しずつ弱くなって、体が冷たくなっているのに、 横でただ泣きながら見ているしか出来ないんだよ。 僕は目の前で起きた現実を受け入れることが出来なかった。 やらなければいけない事は沢山あったんだ。 洞窟の中にはまだ生きている民兵の人がいたんだ。 でも僕はソニアの傍から離れる事が出来なかった。 この日まで、沢山の人に助けられて生き延びてきた。 沢山の人の、仲間の友達の犠牲の上で、生きてきたんだ。 なのに、何もお返しも出来ずに、逃げてばかりで、 まだ生きている民兵の人だけでも助けなきゃいけないのに、 その人たちに助けられて、今まで面倒をみてきてもらっていたのに、 頭で理解してても何も行動できないんだ。 気づいたら朝になっていて、 洞窟の中でまだ息のあった人たちも、皆亡くなっていた。 もう心が耐えられなかった。 情けない自分が、同じ過ちを何度も繰り返す自分が許せなかった。 それから数日間、ソニアや民兵と一緒に過ごしていたんだ。 でも、外に出ていた民兵の人は誰も帰ってこなくて、 もう全てが終わった事に気づいた。 本当はとっくに気づいていたけど、 もう現実を受け入れるほど僕の心は強くなかったんだ。 それから、少しして、僕は皆の遺体を埋めることにしたんだ。 スコップとかがないから、木の棒でひたすら彫り続けて、 全員の遺体を埋めるには数日かかった。 僕ムスリムじゃないから、お墓に何をすればいいか解らなかった。 だから、棒を立てて、咲いていた花を移して植えるぐらいしかできなかった。 ボスニアの民兵の人に、辛くても生き抜けって言われたけど、 もうそんな気力もなかった。 もう全てを失って、希望だとか光も何もないんだ。 その場で死のうと思って、銃を探したんだけど、銃が全部なくなってるんだ。 食糧も尽き果てていて、飲まず食わずでいた僕は、 もう疲れて眠くなっちゃってさ、 そのままソニアを埋めた場所の前で寝たんだ。 目を覚ましたら、夢の中みたいで、どこかの家のベットに寝てたんだ。 おかしいな、これは夢なのかなって、 それとも今までのが夢なのかなって思ってたんだ。 そしたら部屋の中に中年ぐらいの女の人が入ってきてさ、 何か僕にいいながら、水とか食べ物をくれたんだ。 それから少しして、これが夢じゃないってわかってさ。 僕は山で倒れていた所を、セルビアの民兵に保護されて、 そこから結構離れた民兵の暮らす集落に連れて来られていたんだ。 もう死にたいって思ってた僕は、 セルビアの民兵がソニアを撃ったんだろっ、絶対許さないって暴れた。 でも、この家の奥さんや、民兵の旦那さんは悲しそうな顔しながら、 自分たちはしていないって言ってさ、 僕が暴れてるのに抱きしめてくるんだ。 僕は嘘つきめ!嘘つきめ!って叫びながら暴れたんだ、 でも離してくれなくてさ、寝るって言って僕は部屋に篭ったんだ。 それから何日も、ご飯も食べないで部屋籠ってた ずっと篭っていてさ、そうだ、ここから逃げればいいんだって思ったんだ。 それで夜になるのを待って、窓から外に飛び出して、辺りを見渡したら、 十何キロ先かわからないけど、前に居た山っぽいのが見えたんだ。 僕はソニア達の所に戻らなきゃって、 あそこに戻らなきゃって思って、山に向かったんだ。 途中で、道がわからなくなったりして、 何とか洞窟についた時には三日以上経っていたと思う。 その後、二日くらいまた洞窟で一人過ごしていた。 そしたらさ、集落の民兵の人が来たんだ。 気づいた時にはもう洞窟の入り口の所まで来ていて、逃げ場はなかった。 ああ、僕も撃たれるんだな、良かったってホッとしたんだ。 だけど、彼らは僕を撃たないんだ。 撃たないどころか、一人で何してるって怒るんだよ。 意味がわからないんだよ。 お前らセルビアは子供でも女でも殺して、子供に乱暴だってするだろって。 僕も同じようにしろって泣きながら叫んだ。 だけど、彼らはただ無言のまま僕を担いで、洞窟から連れ出そうとするんだ。 嫌だ嫌だって言っても離してくれなくて、 大事なバックが!バックがあるから、だから離しせ!って言っても離してくれなくて。 バックはどれだって言うから、 答えたら、預かるとかいってさ、僕の事を下ろさないまま山を下ったんだ。 疲れていたのもあって、僕は途中で寝ちゃって、 起きたらもう集落のすぐ近くまで来てたんだ。 その後、また同じ家に連れて行かれて、 家に入ったら、あの二人が怒りながら僕の事をビンタしたんだ。 それから僕の事、この前よりも強く抱きしめてきて、 また暴れようとしたんだけど、力が強くて暴れられなかった。 それから知ったことなんだけど、この集落の人たちは元々民兵じゃなかったんだ。 ボスニアの民兵に襲われて、 村の女の人や男の人、子供も何人か殺されたり連れ去られたりして、 それで武装してたんだ。 僕を世話してくれた夫婦にはさ、僕よりちょっと年上ぐらいの子供がいたんだ。 だけど、彼は襲われた時にボスニアの民兵の人に殺されてしまっていて。 その時、漠然と皆が苦しんでるっていう感じだったものがさ、 セルビアの人も苦しんでいるんだ、 被害にあってるんだ、皆が辛いんだって確信に変わったんだ。 多分だけど、 僕がお世話になっていたボスニア民兵の人達なんだよ。 この集落を襲ったのはさ。 そして同じような事を他の集落でもやっていたんだ。 中には、本当に悪い奴もいて、 虐殺や暴行、レイプをしている人間もいるんだ。 それは否定しようがない事実なんだ。 そしてセルビアが今回の紛争で大勢のボスニアの人々を殺してたり、 暴行したり、レイプしたのも事実なんだ・・・ だけど、彼らもまた、同じような被害にあってるんだ。 自分達を守る為に、家族を守る為に、お互いにお互いを殺しあってるんだ。 望んでいるのは、形は異なっていても、同じ平和に暮らすってことなのにさ。 でも、昔に起きた虐殺や戦争の禍根が未だに残っていて、 それがお互いの理解とかそういうのを邪魔するんだ。 積もりに積もったものが、阻むんだ。 今までの歴史が、彼らに人を殺させるんだ。 やらなきゃ、やられるって思わせるんだ。 それから僕は、彼らと一年ちょっと生活した。 セルビアの人を憎む気持ちは薄れることはないんだ。 だけど、彼らにも彼らの事情があって、それを僕は否定出来ないんだよ。 否定する事が出来ないんだ。 少なくとも、全員が望んで人を殺しているわけじゃないんだ。 罪悪感とかそういうのと戦いながら、それでも殺さなきゃいけないって、 それで相手を殺している人たちもいたんだ。 彼らと暮らして半年ぐらい経った頃だったと思う。 アメリカを始めとするNATOが、 セルビアの勢力下の地域に爆撃を始めたって聞いた。 後で知ったけどさ、もっと前から国連として活動はしていたんだけど、 遅すぎるんだよ。何もかもが遅すぎるんだ。 そして彼らと暮らして1年2ヶ月ほど経って、 1994年の12月になった。 一月から停戦になるから、祐希はサラエヴォへ行って、 そこから国に帰りなさいって言われたんだ。 でも、僕はもう嫌だった。 というより、これから先、全てを背負って生きていく自信がなかったんだ。 集落を出発する朝、僕を世話してくれた夫婦とか、民兵の人が集まってくれたんだ。 だけど、僕はもう無理だって、もう死にたいって思ってさ、頼んだんだ。 頼むから僕を殺してって。 痛くても我慢するから、殺してって。 大切な友達達、みんな居なくなってしまったのに、 生きていても辛いって言ったんだよ。 そしたら、周りの兵士たちもお世話をしてくれた二人も 悲しそうな、少し困ったような顔したんだ。 そしてお互いに見つめあいながら、 何かを早口でいってさ、僕を取り囲んだんだ。 僕はソニア達に、もうすぐそっちに行くよって、心の中で呟いたんだ。 やっと終われるって思ったんだ。 だけどさ、彼らは僕に何かをするわけでもなく、 歌を歌いだしたんだ。 何が起きたかわからなかった。 違う国の言葉だし、意味もわからなかったんだ。 意味を知ったのは、日本に帰って数年してからだった。 ルイアームストロングの”素晴らしき世界” この歌はさ、今の戦争の世界が素晴らしいって言ってるんじゃないんだ。 きっと、世界は素晴らしくなるんだ。 そう皆が願い、思えば、素晴らしい世界になるんだって意味なんだ。 皆、好きで殺してるわけじゃないんだ。 そうしないと自分達の仲間が子供が殺されてしまうからなんだ。 そして、相手も同じなんだ。 それをお互いにわかっているんだよ。 わかっているのに、止められないんだ。 泣きながら歌ってるんだ。 ボスニアやクロアチアを殺した民兵たちが 泣きながらさ。 彼らは好きで殺してるわけじゃないんだ。 そしてそれが許されない行為だと知っているんだ。 知っていながら、どうすることも出来ないんだ。お互いに。 この時、英語が理解できていれば、彼らに何か言えたかも知れない。 でも、当時の僕には何の歌かわからなかったんだ。 悲しい歌なのかと思った。 平和を願う歌とは知らなかったんだ。 その後、僕はサラエヴォまで連れて行かれてさ、 解放される時に手紙を貰った。 その手紙の内容は、ちょっと長いから要約するけど・・・ ” 人生は不公平だ。 一生平穏に暮らす者もいれば、 一生紛争や貧困に喘ぐ者もいる。 だけど、人生には、神様が皆にチャンスをくれるんだ。 学校やお父さん、お母さん、大人や友人、 彼らは何度でも君にチャンスを与えるんだ。 それを活かすかどうかは、君次第なんだよ。 小さな贈りものになるけれど、 私は君に生きるチャンスを与えよう。 強く優しく、そして誠実に人生を全うしなさい。 そして、素晴らしい世界を作りなさい。 子供が笑いながら育つ世界を。 君達子供に託そう。 素晴らしい世界を・・・ ” こんな感じの内容なんだ。 その後、 1995年1月から4ヶ月の停戦が結ばれ、 僕は首都で再会した父と共にオーストリアに向かい、後に日本に帰ってきた。 結局、この一連のボスニアヘルツェゴビナ紛争が終結するのは、 僕達がこの国から脱出した十ヶ月後の事だった。 1995年7月、 安全地帯となっていたスレブレニツァが包囲され占領されたんだ。 多くのボスニアが処刑、強姦、拷問され、生き残った中から一部の女性は 解放されたけれど、男性は殆どが順次処刑されていった。 殺されたのは、大人、子供、男女、老若女男問わず虐殺されたんだ。 犠牲者は、八千人を超えていて、未だに身元がわからない人も多く居る。 もし、サラエヴォから脱出できなければ、僕らはそこにいたかもしれない。 良い人もいれば、悪い人もいる。 セルビアが憎い。 憎いけど、全てのセルビアが悪というわけじゃない。 どうしたらいいんだ。 どうやって生きていけばいいんだ。 平穏な日々に戻ってからも、それを悩んでいた。 そして、いつの間にか あの日ソニアの家に居なかった、セルビアのドラガンを裏切り者と憎み、 責任を押し付け、恨んで生きていくようになった。 それも間違いだった。 前に書いたとおり、彼は裏切ってなんか居なかった。 インターネットで彼の弟を見つけ、コンタクトを送ったら、 僕達がカリノヴィクで襲われた日に、彼は殺されていたらしい。 それは僕達を庇おうとして。 僕達を庇ってくれた仲間を裏切り者として、15年以上も憎んでいた。 「ずっと仲間だ」って約束したじゃないか、 それなのに、その言葉を忘れて、僕が彼を裏切っていたんだ。 今までの人生が全て崩れるような感覚に陥って、 僕はもう生きていけないと思った。 罪悪感だけじゃない。 僕には荷が重過ぎるんだよ。 気づいたら、会社に退職願を出していた。 丁度さ、いい機会だったんだ。 ドラガンの弟から、サニャとかの家族の現住所も教えてもらえてさ。 サニャとカミユの家族は、全員ではないけれど、生きていたんだ。 だから、まずはドラガンのお墓で謝って、 そしてドラガンの家族に謝罪して、そして感謝を述べて。 それでさ、その後は、カミユの家族に会いに行って、 サニャの家族に、サニャの遺品を渡してさ。 全てを終わらせようと思ったんだ。 ただ、ボスニアの人との約束の一つ、 話を広めるというのは僕には出来なかった。 だから、こうして色々考えた末、掲示板にスレを建てて、今に至る。 もし何かを感じてくれれば、それでいい。 欲ではあるけれど、僕自身、彼らが何を伝えようとしていたか、 そして僕が何を伝えればいいか考えて、 それを少しでも感じ取ってくれれば、なお嬉しい。 大切なのは、素晴らしい世界を願い、それを伝えて、 実現に近づけていくことなんだと思う。 文章を書くのが苦手な僕には、 僕の気持ちだとか、どんな事が起きたかを上手くは伝え切れなかったと思う。 だけど、もし、読んでくれた中で、何か感じるものがあったとしたら、 バルカン半島、ボスニアのことにも少し目を向けてくれると嬉しい。 日本だからこそ出来る事があると思う。 断罪するだけではなく、罪を犯してしまった民族にも、 救済の手を、救いの手を差し伸べて欲しいんだ。 それは偽善かもしれない。 それは意味がないことかもしれない。 だけど、今ある禍根を、もしだよ。 もし取り除くことが出来れば、いつか素晴らしい世界になるんじゃないかな。 僕はそう思うんだ・・・ 彼らが歌ってくれた歌に、そのヒントがあるような気がしたんだ。 僕らが知らない世界を子供たちが作ってくれるって歌詞があった。 知らない世界、それは、民族融和かもしれない・・・ でも、それは簡単なことじゃない。 恨みや禍根は、今現在一時的に裁きによって蓋をすることが出来たかもしれない。 だけど、それが消えたわけじゃない。 全ての民族に正義や大義名分があったんだ。 その恨みや禍根は蓋で隠されているだけで、子供たちに継承されていくんだ。 それを断つには、周りの、世界の人々の手助けが必要だと思う。 そして、そういった時に、日本だからこそ出来ること、日本だからこそ 手助け出来る事があると思う。 パレスチナとイスラエルの子供を結びつけたように。 ・・・最後になるけれど、 この紛争で亡くなった全ての方々のご冥福をお祈り申し上げます。 このスレは、約束を果たすケジメみたいなものだからさ。 読んで何かを感じてくれた人に、ボスニアについてもっと関心を持ってもらえれば、 それで僕の役目は果たした事になると思う。 僕が伝えたかったのは、ボスニアの話であって、僕の事じゃないんだ。 ごめんね。(コメントに対して) 別に悲観的になる必要はないんですよ。 安心してください。(僕は)大丈夫です。 それと、メルヴィナの行方はわからない。 ドラガンの弟も知らないんだ。 探しても、どこにも情報がないんだ。 あっちに行ったら、探してみようとは思う。 それじゃ、長い時間、 そして長文なのに最後まで読んでくれてありがとう。 僕よりも辛く壮絶な経験をした人は沢山いる。 こういった世界の子供達や人々の為に、 たとえ金額が少なくても寄付なり何なりしてもらえれば、嬉しいです。 僕の事は本当に大丈夫だから。心配しないで下さい。 それじゃ、元気でね (END)

■解説

どれだけ分かり合っても 戦争には逆効果であり、止められない戦いならば、 僕らの様な第三者が、この物語を考える事は、 何か解決方法を見つけるチャンスになるんじゃないか? 主人公の考えに共感しました。 原作者とされていた祐希氏は仮名であり、 祐希氏もまた、後日談で「本当の主人公にこの物語を託され」 誰かに、この話を、広げて欲しいという事だったから、 本書3版まではキンドルに纏めました。 4版からはココに置くことにしました。 本作はストーリー部分を抽出した物なので さらなる詳細については インターネットに原文が多く見つけられると思います・・・ そして「本当の著者はだれか?」 一読者の私には、これは解らないです。 恐らく「祐希」という主人公は創作で、和訳者の創作だと思います。 本当の主人公が、実体験を「和訳者、祐樹」に伝えたか? これも確認はできません。 和訳者に伝えた、「本当の主人公」というのも、 何人目の聞き手(読者)であるか?確認が出来ないからです。 ただ、本作は「希望」の為に伝わって来たのかもしれない、 それは共通なのかなと、思います。

■付録